いいとか悪いとかそんなことはおいておいて私が考える今の自分の心を書こうと思う。

 

私は今、さみしい。なぜ、さみしいかというと自分の心の内を安心して話せる人がいないから。

 

一番の親友は結婚して遠くに行ってしまった。近くの友達は結婚して旦那さん中心であまり連絡を取れなくなった。子供が産まれた友達は毎日が忙しそうで私の小さな愚痴なんて聞かせられない。

 

妹は結婚して子供がいて自分の家庭を築いている。邪魔はしたくない。

 

両親は、とっくに子育てが終わって自分たちの好きなことをしている。私は相談しようと思って近づいてもかえって自分が傷つけられることを知っているから話ができない。

 

職場は仕事をしにいく場所。若い子ばかりで自分を保つのに精いっぱい。

 

私は趣味らしい趣味はなくて、唯一の趣味のランニングは孤独な闘い。

 

結婚するほどに親密になれる異性だったら、「定期的」に私が向かい合おうとしてもいなくならないんじゃないのかなと思った。

 

彼氏なら、私が心の内を安心して話せる人になってくれるんじゃないのかな。

 

世間のセミナーや啓発本なんかにはこんなことが書いてある。

 

寂しい人は結婚してもしなくてもさみしい。そのさみしさを自分自身で埋められるようにならなくてはいけない。自分一人でも楽しいけど2人ならもっと楽しい。そう思えるようにならないとダメなんだよ。

 

 

分かってはいる。でも、私は話し相手がいないとさみしさが埋まらない。この話相手というのは仕事上の付き合いとか、なんとなくの表面上の友人とか、心の溝が深い両親とかでは埋められない。本当に心が共有できる人とでなければ埋められない。

 

1人で充実した時間を過ごすようにというけれどもう十分一人では時間を過ごしてきたよ。映画にもランチにも旅行にも一人でいける。

 

友達を新しく作りたいからサークルとか習い事とか、街のコミュニティにも積極的に参加してみた。たしかに新しい知り合いやつながりはできたけど、それだって数か月に1回くらいの交流があるだけ。

 

みんな帰るべき家やコミュニティをちゃんと別にもっている。その時だけは楽しいし満たされるけど毎日毎日の日常に帰ると長い長い孤独が待っている。

 

だから私は定期的にあえて、話ができて、いなくならい存在がほしい。さみしいから。

 

 

本気で好きだったM氏はたぶんまったくおんなじことを考えている人だった。さみしさは連鎖するから私はよくよくそれを理解していた。

 

 

そんな不純な動機から、彼氏がほしいと願うのは最終的に幸せにはなれませんか。

 

へたしたらさみしい思いは抱えているけどよくも悪くもない今の現実から何かを変えることが怖くなってしまって「現状維持」にしがみついてしまいそうな自分もいる。

 

不純な動機だけど、それが私が他人を求める上での「理由」なのだ。