世界というのはワールドという意味ではなくて、自分たちが今生きている世界のこと。


自分が存在して、その周りに家族、職場の人、そのほかの知り合い、ぜんぜん知らない人たち、通り過ぎる人たち・・・。


そのひとつひとつのつながりの中で私は生きている。


最近は婚活を現実的に考えるようになって、いろいろと考えることが出てきた。


昔は普通に生きていれば自然に異性と出会って、恋愛、結婚していくものだと信じて疑わなかった。


でも、そんなこともなく、三十路になった。


世間では、男性でも女性でも、適齢期をちょっとからだいぶ過ぎた人たちを何らかの問題がある人間だという。


少なくとも、一般人がちょっとググるとそんな記事がたくさん出てくる。


私もそんな人たちの中の一人なわけです。



まあ、確かに人間的に、とか倫理的にそれはだめだろう!って人が世の中にいるでしょう。でもそれは三十路に限らず、殺人事件、横領事件、etc...年齢性別関係なくニュースに上がってくるでしょ。


結婚相手は当人たちの感覚、によるところが大きいし、これだけメディアが発展していれば、良いの基準はどうしたって芸能界の華やかな女優さんや俳優さんになってくる。


カタログをめくって好みの商品を探すように結婚相手を見つけなくちゃいけないような制度では、どうしたって格差は出てくると思うし、私だってそうなると思う。


だって、生理的に嫌だと思う人と生活できないでしょ。


それは相手方もおんなじ。



でもさ、そんな希薄な人間関係の中から、ぐっと心に迫るような関わりを持てる人を探し出すことって可能なのかな?とも思う。



私を支えている世界には、社交的な人、内気な人、素晴らしい人、嫌いな人、色々いるけど私は今までそんないろんな人がいることにすら興味を向けることもなかったな。


そしてここ数年でそのツケに散々悩んでからは、内気な人、心の弱さを少しでも垣間見せてくれる、本当はいわゆる自信がなくて気弱な人にとても心惹かれる。


藻類?共感?と呼ぶのだろうか。


わかるよ、その気持ち。その気持ちを共有したい。


生きているとどうしようもなく悲しくて、支えきれなくて、どうしよかというときに、私はこんな風にブログを書いたり、本を読んだり、自分で自分を抱きしめたりしてやりすごす。


気弱なあの人はどうしてるのかな?


共感したい、その怖さを、さみしさを、乗り越え方を。


最近はそんな風に思う。


これは単なる同志を求めた傷のなめあいなのかあと思うときもあるけど。


でも、特に異性でそんな部分を垣間見せられると、私の心の琴線が震える。



ただし、ずっと気弱でそれを売りにしてるような人はちょっと覚悟が足りないと思うけれど。