こんばんは(^-^)
ヒロコです。
悟りを開くといつも
穏やかで聖人君主
のようになる
悟りを開いて自分も
聖人君主のようになりたい
と思ったことは
ありませんでしょうか?
・・・ 私は思っていました。
心が穏やかで怒りを
感じることもなく、
常にニコニコ生きて
ゆくのだと。
それがどうも違うようだと
思うようになったので、
こちらにまとめてまいります。
悟りに興味がある方の
何らかお役に立てると
幸いです。
自分の一瞥体験への理解を
深めるために、
インド聖者たちの著書を読み、
悟りを開かれていると感じる
方たちに直接お会いして
思ったこと。
悟りを開くと、聖人君主
になるわけではない
ということです。
人としての機能のひとつである
感情は悟った後もその身に
沸き起こるもので、
個としての元々の資質が
消えるわけではないようです。
短気な人は、何か出来事が
起こった時に、依然として
瞬時に怒りを覚えます。
ただ、その怒りの感情が悟る以前
と比べて長引くことはなく、
怒った次の瞬間には、笑顔でいる、
なんてことがあるようです。
その瞬間瞬間の今を生きているため
感情に捉われ続けることがないのでしょう。
悟りときくと穏やかに説法を
する仏陀をイメージするので
てっきり聖人君主のようになると
私は思い込んでいました。
仏陀=お釈迦様=元インド国王子
のゴータマ・シッダールタは、
おそらく元々穏やかな資質で
あったため、成人君主の印象を
強く抱いていたのもしれません。
インドの有名な覚者の
ラマナ・マハルシは、
穏やかな方でしたが、
同じく覚者の
ニサルガダッタ・マハラジは
短気だったといわれます。
面白いですね(^-^)
悟り=聖人君主ではないと知った
ときは、個人的に衝撃であり、
知るまでにずいぶんの期間を
要したので、私と同じように理解を
深めたい方の元に届いたらいいな、
と今回シェアさせて頂きました。
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本日もお読み頂きありがとうございました❀

