残念なこと。
芸能ニュースのとある記事。
ある芸能人のブログの内容が
取り上げられていました。
コメント数が半端なくて、
のぞいてみたんですが。
全部批判。
全部非難。
その芸能人は確かに常識がない。
自分の影響力を考えていない。
それは認めます。
でもね、
なんだか悲しくなりました。
顔がいくら見えないからと言って
相手が芸能人だからといって、
ネットになんでも
書いていいわけじゃないよね。
相手の揚げ足をとって
小さなことも大げさに仕立てあげて
自分が常識人のように振る舞って
それじゃあ集団いじめと
一緒じゃないのかなぁ。
建設的な意見ならともかく
ストレスのはけ口のように感じました。
恐ろしいなぁ。
これがね、個人のブログなら
そういう考えもあるなぁ程度なのよ。
だけど他人のコメントに助長され
いきすぎた悪口に
なっているんじゃないかなあ。
魔女狩りのような。
だから怖い。
もし身近な人が同じことしたら
対芸能人のように同じこと言うのかな。
「消えろ」とか「うざい」とか
過去のことまで非難したり
家族のことや周りの人のことまで批判したり。
同じことはきっと言わないよね。
思ってたとしても
直接は言わないよね。
芸能人がいかに影響力があるかなんて
重々わかっています。
でも、よってたかって相手を裁く心。
集団で!がポイントね!!
それが怖いんです。
その心は、「対芸能人」だから
許されるのかなぁ。
対芸能人なら、
何をしてもいいと思ってないかな。
芸能人だって一人の人間。
一人の人間を相手にしている
集団いじめにしか思えず
とても悲しいのです。
芸能人を擁護しているわけでは
もちろんないよ。
平気で悪口を書き込む側の心が怖い。
それが正義だと思っているような。
その心がね、
ユダヤ人やら南京やらの虐殺と
回り回って一緒のような
そんな気もするのよ。
人を裁く気持ちには
どんな理由であれ
自分も似たような部分があるから
それを逆撫でされたようで
違和感を感じるらしい。
あたしもそんな部分が
あるんだろう。
だからこんな内容を書いている。
自分をみつめなおす鏡として
背筋を伸ばして頑張らなんね。
ある芸能人のブログの内容が
取り上げられていました。
コメント数が半端なくて、
のぞいてみたんですが。
全部批判。
全部非難。
その芸能人は確かに常識がない。
自分の影響力を考えていない。
それは認めます。
でもね、
なんだか悲しくなりました。
顔がいくら見えないからと言って
相手が芸能人だからといって、
ネットになんでも
書いていいわけじゃないよね。
相手の揚げ足をとって
小さなことも大げさに仕立てあげて
自分が常識人のように振る舞って
それじゃあ集団いじめと
一緒じゃないのかなぁ。
建設的な意見ならともかく
ストレスのはけ口のように感じました。
恐ろしいなぁ。
これがね、個人のブログなら
そういう考えもあるなぁ程度なのよ。
だけど他人のコメントに助長され
いきすぎた悪口に
なっているんじゃないかなあ。
魔女狩りのような。
だから怖い。
もし身近な人が同じことしたら
対芸能人のように同じこと言うのかな。
「消えろ」とか「うざい」とか
過去のことまで非難したり
家族のことや周りの人のことまで批判したり。
同じことはきっと言わないよね。
思ってたとしても
直接は言わないよね。
芸能人がいかに影響力があるかなんて
重々わかっています。
でも、よってたかって相手を裁く心。
集団で!がポイントね!!
それが怖いんです。
その心は、「対芸能人」だから
許されるのかなぁ。
対芸能人なら、
何をしてもいいと思ってないかな。
芸能人だって一人の人間。
一人の人間を相手にしている
集団いじめにしか思えず
とても悲しいのです。
芸能人を擁護しているわけでは
もちろんないよ。
平気で悪口を書き込む側の心が怖い。
それが正義だと思っているような。
その心がね、
ユダヤ人やら南京やらの虐殺と
回り回って一緒のような
そんな気もするのよ。
人を裁く気持ちには
どんな理由であれ
自分も似たような部分があるから
それを逆撫でされたようで
違和感を感じるらしい。
あたしもそんな部分が
あるんだろう。
だからこんな内容を書いている。
自分をみつめなおす鏡として
背筋を伸ばして頑張らなんね。