世界一の大富豪ハワード・ヒューズ
1905年、岩石掘削の油田ドリルで莫大な資産をなしたハワード・ロバード・ヒューズのひとり息子として、テキサス州ヒューストンに生まれ。。
14歳ではじめての飛行訓練を受ける。このころすでに、いつかは世界一のパイロット、世界一の映画作家、世界一の大金持ちになると宣言している。
22年に母親が、ついで24年に父親が亡くなると、ヒューズは、父が残した会社ヒューズツールカンパニーを18歳にして相続し、世界でもっとも金持ちのひとりとなる。
ヒューズ・エアクラフト社を設立した。その後、なんと偽名でアメリカン航空のパイロットになっている。荷物係として入って半年後には副操縦士なっています。
とんでもない人ですね。
アメリカ政府からの依頼で、ヒューズ・エアクラフトが開発したH-4 ハーキュリーズ 飛行艇を開発、大部分が木製のため、「スプルース製のガチョウ(スプルース・グース)」とも呼ばれたこの機体は、1947年の完成当時、世界最大の航空機であるとされ、 A380よりも、翼幅は長いです。
エンジンはワスプ・メジャー" 4列28気筒空冷星型レシプロエンジン × 8基!!
当初はアメリカ軍向けの輸送機として開発されたものの、第二次世界大戦の終結により購入契約が破棄された。ヒューズが全力を傾けて作り上げたこの巨大な飛行艇は、わずか1機だけが製造され、完成後はヒューズ自らの手でわずか1回飛行しただけで、その後はカリフォルニア州のロングビーチ港に永く展示された。現在はオレゴン州マクミンビルにあるエバーグリーン航空博物館で展示されています。

ほどなくして、ヒューズは初監督作品『地獄の天使』の制作をはじめるが、航空シーンのリアルさを追求するあまり、ヨーロッパ中を探し回って87機もの戦闘機を購入し、本物の戦闘シーンを撮影するというこだわりぶりで、製作費は膨大にふくれあがってく。撮影中に3人ものパイロットが事故でなくなり、またヒューズ自身も飛行機を操縦して撮影中に墜落して大けがをした。完成前からなにかとハリウッドで話題になっていた映画だったが、こうして数年をかけてついに完成した『地獄の天使』は、世界恐慌のまっただ中、1930年に公開され、大ヒットを記録し、プラチナ・ブロンドのジーン・ハーロウをスター女優へと押し上げるが、製作にかかった莫大な製作費をついに回収することはできなかった。
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孤独な.最後
1976年2月10日、ラスベガスからメキシコのアカプルコ・プリンセス・ホテルのスイートルームに本拠を移す。1976年4月5日昏睡状態に陥り、治療のためメキシコからアメリカに戻る際に自家用機内で死亡。70歳であった。
190 cmあった長身はアスピリンなどの薬物乱用のため10 cm以上縮み、体重はわずか42 kg。あまりに痩せ細ったその容貌からはヒューズと判定できず、FBIによる指紋照合が行われた。その亡骸は生まれ故郷テキサス州ヒューストンの墓地に埋葬されている。死因は脳血管障害、心臓病などがあげられている。
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