実家の父(88才)が 大きな段ボールを送ってきました。
私・・・母が3年前に亡くなった後・・・
余計なことを 父に 申しました・・・。
「パパも 老い支度、しといた方がいいよね・・・」 ・・・って言っちゃったんです。。。
母が亡くなって 形見分けだの 遺品の整理だので、兄嫁と私は もの凄く大変でした・・・。
捨てる捨てないだけでなく・・・
「想い出」って・・・ 次の世代までなら 受け止められるけれど
孫の世代には どうしようもない物で・・・
「片づけ」・・・・って 口で言うほど 簡単ではありません・・・。
元気なうちに ある程度の身の回りの片づけをしておくことは 遺された者に どんなに有り難いことか・・・。
「老い支度」
この言葉に 父は なんと 素直に 実行に移し始めました・・・。
贈答品の数々(6畳2間に天井まで山積み・・・
)を 欲しい方に差し上げたり、勝手に持って行ってもらったり

バザーをなさる方に 取りに来て頂いたり・・・ タオルやシーツの黄ばんだ新品は捨てたり・・・
趣味の骨董品は 十把一絡げで売り飛ばしたり・・・
捨てる・・・と云っても 実家地区のゴミ収集は ひとつのゴミ袋に 一枚50円の市で発行しているシールを
貼らないと ゴミ清掃車は 持って行ってくれないのです。
丁寧に ゴミを作り・・・
シールを貼っては 出したようです・・・。
老い支度・・・って・・・
そういうんじゃないと 思ったんですが・・・
お中元、お歳暮の件数を減らしたり、年賀状の枚数を少なくしたり・・・
着ない洋服を捨てたり・・・
そういう所からは 父の老い支度は 始まらなかったようです。。。
ど~~んと送られてきた段ボールは 私が 大昔に実家に送った物でした。
引っ越しが多かった新婚時代から 息子が小1まで、
想い出で捨てられない・・・・でも 狭いマンションには置き場がない・・・
そういう物を 実家で預かってもらっていたのです。。。
・・・まあ
体のいい物置・・・・だった・・・。
父から送られてきた 22年前の引越し屋さんの箱・・・
私の字で 「子供部屋」 ・・・・と 書いてありました。
相変わらず 汚い字・・・って 自分で 苦笑いしました。。。

幼稚園を3回 小学校を2回変わった息子です。
恐る恐る開けた箱の 一番上には
この雑記帳・・・
2つめの幼稚園(イギリスのNew Castle upon Tyneで) の時のものです・・・。

わあ~~!!
おそらく これ!

私との合作~(笑)
言葉の通じない中でも 絵を描いたり レゴブロックを作ったり 歌ったり・・・
そういう事で イギリス人とコミュニケーションをうまく取っていた またくん・・・。

フェアウェルパーティーで
たった一年足らずの滞在だっ
たのに 40名以上の友人が出
来てたこと、思い出しました。
東洋人のあまり居ない町でし
た。企業がらみのお仕事の家族なら お世話して下さる方もたくさんの日本人との交流を持てるのですが、単独での海外赴任・・・。
またくんと私は 孤独でした。
でも、その一年後は 沢山の方たちとの素晴らしい時間が過ぎていったこと・・・
MichelleとGaryは ご近所の姉弟だったね。
もの珍しかった極東の島国から来た またくんと よく遊んでくれました!
Garyは かっこよくなっただろうな~~



段ボールの中には~、
汚くって ごめんなさい・・・

こんなものも ありました。
帰国後 入った幼稚園の上履き・・・
年中さんで 21・5cmだったんだね~。

先生の大サービスの
はなまるに 感謝


イギリス時代の絵から
半年で 格段の進歩です
幼稚園バッグも




何度もお別れ会をしていただいた時の手作りメダルやら 色画用紙で作って頂いた王冠
やら・・・

お絵かき時間に着たスモック・・・
私のへたっぴな ほつれかけたアップリケ・・・
あんまり・・・実は・・・思い出したくなかったな・・・。
今のこの場所に落ち着くまでに またくんは生まれて7才までに9回も引っ越ししました・・・。
すぐに出来た友達も すぐにお別れ・・・。
父が「 サーカスの子供みたいだ・・・ まるで 浮き草のようで・・・ 」 ・・・と 言った言葉
悲しかったな・・・。
想い出 ・・・
思い出したくなかった事も 懐かしかったことも
父の 老い支度の一環で・・・
段ボールに ごちゃ混ぜになって
今は またくんの部屋にあります。
私に・・・・・・って、
大好きなマスカットも 送ってくれました

父の日に送った「洗い籠」のお返し~~って 

いつでも あげた以上に返してくる父。。。
律儀っていうか・・・
でも、嬉しいなっ


ごったま~~~~~& ありがとう~~
