
とある敬虔なイスラム教徒の男が仕事の関係で家族を連れ来日していた。
ある日、妻が男に「劇場版「聖☆お兄さん」を子供たちが見たいと言っている」と許可を求めたので、まず自分たちが試写してみることにした。
結果は「まぁ、いいんじゃないか」と。
「というか、あんなに何も感じないイエスキリストは見たことがない」とまで言った。
まぁ自分も、普段から眠たそうな顔をしたあの「いえっさ」くんはほぼ常時天然ボケで、弟子たちからもさんざっぱら言いたい放題言われているしで、これは日本人から見たイエスなんだなって思っている。
(聖☆お兄さんの原作内では、リンゴを食べたりアップル社製のパソコンを使用すると、イエスの地が出て、ブッダから「からみにくい」と煙たがれる。要するにあの作品内でイエスは「いえっさ」のままなのだ)
イスラムの男がイエスに感じなかったものとは「敵愾心」だろう。
あろうことか、大半の宗教は「愛する」ことより「対立する」ことを教えている。
批判覚悟でぶっちゃけますが、宗教を究極のビジネスと考えると、清貧を善として教会への寄付を募る、その寄付金を教会同士で奪い合ってるんであります。
その商売敵を悪しざまに言うのはまぁ、露骨っちゃ露骨だが競争社会にあっては普通ですよね。
しかしそれはビジネスのレベルの話であって、心の平穏を求めてやってきた子羊たちに宗教人が「敵」を教えるのは、それはあっちゃならねぇだろと思う。
これは異教徒を認めないすべての宗教に言えていることです。
さて、この頃日本国内で不思議な現象が起きてます。
愛知県津島市に日本最大級のイスラムモスクが完成しては、「なんて日本は寛容なんだ」と言われ、
東京駅チカにハラルなお弁当が売られると聞いては以下同文。
ちょっと待ってくれだ!。
ここいら辺は「日本人だから寛容」「日本人の気性の問題だからその寛容さは我が国には導入できない」とか国民性やその他の問題にしてしまってはそこで考察が止まる。
以前も似たようなことを考えたことがあった。
クリスマスやハロウィンを気楽に祝う日本人は敬虔さのかけらもない軽佻浮薄な民族なのか?って。
答えはあった。
ヤオヨロズノカミだ~!。
日本人は仏教徒である前に神道が生活に染み渡ってて、
子供の頃、お米の一粒一粒に神様がこもっているから残しちゃいけないって教わっているし、食事時には「いただきます」や「ごちそうさまでした」もする。
世の中のものすべてに神がおわすって「八百万の神(八百万は無限大の数を意味する)」神の幸ふ(さきわう)国でした~。
多分、かつての日本でも大昔に宗教同士の対立があって、ヤオヨロズノカミで調停を受けたんだろう。
仏教伝来の折にもヤオヨロズノカミを用いることによって導入は比較的楽だったろう。
何しろ無限大に近い神様を認めちゃってるんだ。
「へー、あの方の神様はイエスさんって言うんだって」
「おたくはゼウスさんですか~」って、柔らかく受けとめられる。
隠れ切支丹の時は対応措置を誤ったのだろう。
む~、こうやってみると多神教、悪くないっすね~。
世界の皆さん、多神教いかがっすか~。
世界には日本のように他者を敬う気持ちが大事。リスペクト・アザーです!。