持論の崩壊というか止揚 | うまうま定食

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エサ食む日々



絵とか彫刻は動かない。
そうして演劇とか音楽や映画は、音波とかヒトとか映像とかが動く。


だから絵とか彫刻はカイロス的な時間(永遠につながる一瞬)を用いる空間的芸術。
演劇・音楽・映画などはクロノス的時間を用いる時間的芸術である。

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これが今までの持論でしたの。
でも、どこか詰めが甘いなと思ってて居心地が悪かったの。

で、そう言えばアポロ的なモノとディオニソス的なモノの違いって
どこで分化したんでしたっけ?って内容の議論の結論が出てないよと思って
ググってみたら、こんなモノが見つかりました。
いや、実を言うと不勉強だった自分だけが知らなかったのかも。

ニーチェのアポロ的、デュオニソス的の意味がわかりません よろしくお願いします...

>芸術で言えば、彫刻がアポロ的なのに対し、音楽がディオニソス的だとされます。彫刻は美しい形を作り上げることを目指しているのに対し、音楽は形のない情感を描き出そうとしているからです。


ありゃまぁ、自分がわざわざ分類に悩まなくとも良かったわけかや、
すでにニーチェの時代にて定義されてたのですね。お恥ずかしい、無知は恐い。
そう言えばギリシャってば彫刻がいっぱいありますな。



ただそれって、「アポロ的なモノ」が定義されたってだけであって、
それそのものは以前から「在った」わけですから、
ニーチェやワーグナーの時代を以て「分化した」と考えるのはおかしいにゃあ。
ぷしゅう。結論は先送りだにゃあ。

ま、いいか、蒙がひとつ啓かれた。
しかし「書かれた文字は言葉か?」と問うているような不思議な議論だな~。


単調なリズムボックスの数テンポずらすことによって「グルーブ感を与え」ることによって、
単調にして正確無比なのにグルーブ感があるテクノポップって分野もアポロとデュオニソスといった一対の相反する要素を「ひねる」ことにより、DNA状の複雑ならせんをまた一つ刻み込んで後世に残す行為なんやも知れません。