こころとほむらと | うまうま定食

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エサ食む日々

は~い。中二病、炸裂させま~す。
厨なるものがお嫌な人はこのブログ、
カレー煮華麗にスルーして下さ~い。



さて。

天が、まぁ神様でいいや。神が、人に与えたもの。
姿、とか。
火とか。ああ、火は神様ん所から盗んできたもので、未だに人類はその償いで火災に苦しんでるんでしたっけ。
あと、言葉?。言葉は、一度神様から奪われてしまい、バラバラの言語に分割されてしまったものでした。


さすが神様スゲエな。やることがいちいち違う。人知越えてる。
アリの巣観察のアリ程度の相手に、とんでもないしっぺをくれてる。

神ヤバイ。まず広い。広いなんてもんじ(以下同文)


人間が自分に似せた人形を作るように。
神は、何らかの意図を持って自分らの姿に良く似せた「人」というものを作ったとされる。

そして、心も与えた。

その心を持っているか否かで、人と「アニマル」は大きく違う。
心というものの洗剤潜在パワーは物凄い。
物事を考え、求め、悩み、喜び、悲しみ、苦しみ、想像力を発揮し、言語を作り、道具を作り、フローを組み立て、社会を作り、そして神をも作り、国を作り、戦争を作る。




実は、神が人に与えたもので一番ヤヴァイもの、それが心なんじゃないか?
某ネガなサイト(心を持つことの非合理性を裏付ける書き鋳込みの品評会みたいになってる)徘徊してて、そんなことについてピーンと変な電波を受信しちゃったんです。


だって心って、苦しいじゃん。


心って、それがあるだけで苦しくなるものじゃん。
何かの実験でなんのインプットもアウトプットもない状態を作ったら、
それはそれで人間てば気が狂っちゃう。


それを機械的に再現できるオートマタ(自動人形)なんて、
人工知能やロボットの開発史の、未だかつてどこにもないですよ?。
人造の心だけは人間、まだ作れてない。

人間には、あのDosの無骨な「コマンド・プロンプト」指示待ち状態はないんです。




人間は、心を持っている。
それだけで「何かの罰を受けているのではないか?」と考える向きもあります。
乱暴に一言でまとめるなら、それは「原罪」ってのがニアピン賞ではないかしら。

なんで神は「心」を人に与えたか?。
それは「神」も心というものを持て余したために、
「オメーラも同じ苦しみを味わってみろい」と
人という人形に与えたんじゃないか?と先ほど受信した電波で思った次第。


西洋人がイヌイットにアルコール中毒をもたらしたように。
中国に阿片毒をもたらしたように。
服を与えたが故に、あの超カッコイイ「ヤーガン族」滅びちゃったり。


西洋人が世界各地で行った「小さな親切大きなお世話」的な、そんな施しが、
神の御技(の、縮小再生産)だとすれば、
ちょっと赦せねぇな。と思った次第なんであります。




人間は、心の苦しみを味わうためだけに生まれてきたの?
仏教用語で言うと六道巡りか?。

いや、そんなことはないよ、
だってそれは○○して××だからさ。

↑この「○○して××だから」が知りたいが為に、
自分は考えを続けているのであります。



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