この頃すぐ「ネトウヨ」だのカテゴライズされますけれど、
私は最近の右翼・左翼はよくわかりません。
ウヨクだサヨクだいう前に自分は日本人な訳で、
日本人なら自分の存在の前提となっている
近代・現代日本史をスルーする訳にいきません。
さて、つい数時間前、Chikirinさんのこのブログにあたりまして。
ああ、そう言えば15日ってな~
キューリョーの振り込み日ってだけじゃなかったんだなぁ、と。
特に今日は8月の15日だったっけか。
2008-08-15 終戦の詔勅(ちきりん語訳とともに)
最近、ようやく「勅」という字の重さが判った気がする。
そして、玉音放送のメッセージについては
「馬の耳に念仏」レベルの丸覚え的文字列でしかなくて、
いかに中身を体感してなかったか気がつかされた。
一つの敗戦国の王としての、
いや王ではないな、
やっぱりここは東亜を背景とした天皇陛下、だとしか言いようがない。
その、なんの飾りもない言葉がそこにあった。
改めてこうして読んでみると、
ああ、とんでもない理想論者とかではなく、
臣民の痛みを汲む人物なんだな。
ってことが判り、当時の人々の思いに胸が裂けそうになる。
(でもやっぱり自分にはあの放送は漢詩を聞かされてるようにしか思えませんが)
(現代語に近い 耐え難きを耐え忍び難きを忍び しか理解してなかった)
一構文でまとめると「言葉から浮き彫りにされた人徳を感じた」。
マッカーサー提督が所期目的の一つを果たし損ねたのもよく判ります。


