染み付いた講師の血 | 招き猫デザイナー、紅茶とキムチの先生

招き猫デザイナー、紅茶とキムチの先生

14歳年の差兄弟の母。子育てやサロンの事色んな視点から色々つづっています。
salon de Woo(ウー)WOOTEASCHOO紅茶教室代表、ロイヤルバッグ代表バッグデザイン、ポーセラーツ、

サラリーマンだった亡き父は


サラリーマンとは別に

能楽をやってて、お弟子さんもいた。


能楽とは↓分からない方もいるので

こんな感じ。




舞う役

うたう役

鼓の役


これをやってて

毎日仕事から帰宅すると

座敷に入り

1時間毎日、亡くなる53歳まで練習をしていました。


父が能楽を始めたのは20歳くらいだったかな

もっと前かもしれない。



お弟子さんも12人いた為

父は「森先生」と言われてて


先生って言われてる父はカッコ良く見えた。



そんな能楽の講師の娘2人は

全くやってない。

全くではないが一瞬やったかな?

でもやらなかった。


そんな能楽講師を持つ我が家の一番奥の座敷は

ヒノキの床で作られている。

父のこだわりだった。


袴の数も、扇の数も

すごい量あり今でも父の大事なものとして実家に残されている


当時は

毎月東京から先生が教えに来てくれるんだけど

九州に済む能楽の先生方が

毎月我が家に集まり

ありがたい教えを学んでいた。



それも、私が小さな頃から3.4歳かな?父が53で亡くなるまで続いた。

20年以上。

講師仲間のおじちゃんおばちゃんから

私も良く可愛がられた。



講師、

先生、


その仕事は子供の頃からすぐ目の前にある職業だった。


先生と呼ばれる父

講師仲間やお弟子さんから絶大な信頼を得ていた父を見て


私もいつか先生と呼ばれるようになりたいなと

憧れというか、

20代に思った事がある。




内容は違えども

今気がつけば同じ立場にいる


もちろん父は知らない。先生と言われてる私を。



もし父が知ったら喜んでくれるだろうか

褒めてもらえるだろうか。


私も

能楽を始めるべきだろうか。



このような写真や動画を見ると

父そのもので

何とも胸が苦しく切なくなってしまう。