$cooshiの勝手言い放題


Candy・・・
良きにつけ、悪きにつけこのバンドではいろいろ経験できた貴重な時期だったな。

バンド活動ではこのCandyが一番長く続いたものね。
メンバーもいろいろで結構楽しめたバンドだった。

バンド構成はドゥービーブラザーズのような構成だった。

ツードラでジロ~とF岡君がドラム、万ペイがヴォーカル!ギターはSちゃんと俺!
ベースが松雄とキーボードがあくさんとまりちゃんだったかな。キーボードはYOUKOの時代もあったね。

バンドという意味ではこのCandyが一番完成されていたかも知れない。
ドラムのF岡君とは同級生で同時良く飲み歩いていろいろ音楽を語ったなぁ。

Sちゃんとも良く飲みに行った。
全盛期のCandyはほんと、理想的なバンドだったね。

当時はバンド大会とかよく出場しててポパイやジャムとよく優勝を争ったものね。

コンサートも良くやったし、当時はダンパー真っ盛りでよく呼ばれた。
出演料も多分この近辺ではトップのギャラだったような。
12月のかき入れ時はサラリーマンの給料より多かったよね。
みんな楽器代と飲み代に消えたけどね。

この頃はよく、スナック”ヤング”に集まって酒飲んでたね。
F岡君とほとんど毎日浸かっていたもの。
F岡君は当時大学8年生で京都の某大学生で・・・・
でもなぜかいつも岩国にいたなぁ?

なんかいつもつも 一緒にヤングで酒飲んでた。
スナックヤングはCandyの公式協賛店のような店でスポンサーだったなぁ。

マスターをはじめ今は亡き幸三君とか、みんなで毎晩盛り上がっていて、本当に楽しい時期だった。

F岡君は単位を取れる科目のときだけ学校に行っていたのかなぁ???
とにかくいつも岩国にいたものね。

一度、12月のある日、Candyのライブがあるのに、どうしても学校の単位を取るために90分だけ授業に出なくては行けないってことになり、おいらの車でF岡君乗せて京都日帰り往復強行したことあったんだ。
もうかなりきつかったね。
お金がないので高速道路通らずに国道9号線をひたすら京都に向けて飛ばしたよね。

こっち夕方でて、翌日の9時くらいにF岡君の下宿ついて、それからF岡君は授業、おいらは1時間くらい寝て、F岡君の学食で飯くって、またF岡君とトンボ帰り。。。。
今考えると無茶したよね。先日、F岡君と久しぶりに酒飲みながら懐かしい思い出だねって、もりあがったけどね。

でも、全盛期のCandyは楽しかったし、このころ音楽的にもいろんなジャンルをやっていたね。

ベースの松雄君はジャズ派でライフタイムって言うジャズ喫茶に浸かっていて、この店でもよくライブやったなぁ。

ギターのSちゃんは当時車の免許を持ってなくて、いつもおいらの車の助手席に乗っていたよ。
まるで彼女の様にね(^_=)。。。

たしか、六呂市の田舎で万ペイの知り合いの農家の蔵を練習場で借りている頃の事だけど、冬の寒い日、夜遅くバンドの練習が終わり車で帰る途中、カーブで路面が凍っていて、そのまま横滑りで崖に落ちたことがあったよね。

最初は暗くてよくわからなかったけど、ちょうどSちゃんと二人で車乗ってて崖の途中の木に引っかかって止まった。

体は真横に向いてて、ちょうどSちゃんがおいらの真上にいる状態で、でも比較的おいらは落ち着いていてSちゃんに上のドア(助手席側)を開けて脱出するようにいって、二人とも何とか車からはいでたんだ。

真っ暗でなにも見えなくて。先に通過した万ペイの車が引き返してくるのをSちゃんと二人でず~~と待ってたんだ、夜空を仰いでね。

もう夜空は満天の青い星屑♪
一曲唄いたくなるようなきらきら星の下だったけど場合が場合だけに唄うのはやめた。(;^_^A アセアセ・・・

そうこうしているうちに万ペイの車が引き返してきてくれて、懐中電灯で照らしてみると、なんと10mくらいの断崖絶壁に直径10cmくらいの木が1本!
その細い木においらの愛車、セリカLB-GTは引っかかっていたのである。

なんかそれみてSちゃんと二人で足がワナワナ~ビビッタよ。

結局レッカー呼んで引っ張りあげたんだけど、いろいろあったなぁ~~でもまだ無事に生きてる(^^;)