いやぁ、去年の今頃は脱臼の手術を控えてましたねぇ。


それはさておき、一年たっても自分の進路に関してはぶれていません。


アトリエに行こうと思います。そして20代で一級建築士をとり、独立します。


勉強しよーっと。

何をするにも大事なのは、最初であると思った。


最初にどんな入り方をするのか、ふるまいをするのか。


そのあとを適当にやっていいとか、そんなことでもないけど。


最初の入り方で、そのあとの選択肢が増えたりやりやすかったり。


するんじゃないかと。


あと、基本は大事。


当たり前のことを当たり前に継続していくことで創造的なことも


起こせるんじゃないかと思います。


でも、上記のことはあくまで仮定です。


世の中に言い切れることはないんじゃないかと思う今日。

最近二つのことに気付きました。


1 自分が当たり前、常識だと思っていることは、他人が考える当たり前、常識と同じとは限らない。

  同じであることの方がまれ。


2 小さなことにとらわれると、いいことはない。



日々生活していれば、無意識のうちに自分は他人を傷つけているのでしょう。


その何気なさを研ぎ澄ませば、自分の言動や行動で他人のことを傷つけたり


しないですむ自分になるのでしょうか。


でも、それってかなり神経擦り切れますね。


最近、友達いなくなったらどーしようかなぁなんて考えてます。


けっこうそういう状況になるのって紙一重かなと。


安心できる場所は世の中少ないですね。




おわり



課題が終わり、一息ついています。


やっぱり自分は表現が弱いです。


今回は建築として成り立たせて、破綻がないようにするので精いっぱいになってしまい、自分の頭の中のことを


表現することができませんでした。


いろんな技術を学んでいく必要があるようです。


まあ評価はそこそこでしたが、そんなの関係ありません。


全体講評に行く作品に選ばれなかったのは魅力が足りなかったからだと思います。




ま、建築は面白いから気長にやっていこうと。



今日も午前に病院行ったくらいで一日家で過ごした。


来週には三角巾も外れ、リハビリに入れそう。


また例の如く併読をしてるんですけど、そろそろ「ソフィーの世界」を読み切ろうと思います。


あと二日くらいあればなんとかなりそう。


この本は哲学の勉強にはもってこいですね。もう一回読みたい。




おわり

昨日も今日もひきこもって読書やらなんやらやってます。


建築をやるってのはほんとに果てしないですね。勉強すること多すぎ。


三月というのは僕の感覚で言うと、一年の中で一番あっという間に過ぎる月なんですよ。


去年もそうでしたが、終わりのない膨大な課題に対して毎日こつこつ取り組んでいるわけですよ。


去年からちょっと思ってたことなんですが、今年は「純粋に楽しむ。」ことを常に心がけようと思ってます。


けっこう難しいことなんですけど、そのへんうまくコントロールしていこうかと思います。


まあ、話変わって二年後の抱負なんですが、僕は大学院には行かずにアトリエに行こうと八割がた決めました。



おわり

に昨日行ってきました。


面白かった。作品に関しては強く共感するようなものは残念ながらなかったけど、やっぱり人の話を聞くのは楽しいし刺激になる。


正直どこの卒業設計を見てもあんまり「すげー」って思うのがない。


でも自分の番はあと二年後なので、あんまり人のことをたいしたことがないとか言う資格はない。


自分が「すげー」ってもの作れるように勉強するだけです。


他人は関係ない。他人の批判をする暇があったら自分の力を磨いていたいですね。


正直批判するだけの知識を僕は持ち合わせていない…。


今日明日はひきこもります。



おわり

ブログとか久々だなぁ。誰にも教えていない日記なので、また気ままに書こうかと思っとります。


あれからどのくらいの月日がたったのだろうか。僕は今年の四月には大学三年生になる。


いろいろなことが起こった。決してあっという間であったとは思わない。なぜそう思うのか、それは怪我のせいではないだろうか…。


三度にわたる脱臼、そして手術。怪我というものは僕にとってなんなのであろうか、ふと考えてしまうのである。



怪我のことを含めて今後のことを考えてみたい。脈絡のない文章、拙い文章になったとしても勘弁してほしい。


ここは僕にとってのアウトプットの場である。


※きれいな日本語を使い、書いたり話したりできるようになりたいという想いは持っているつもり。



小学校のころ、両足首をよく捻挫したものだ。両足で10回くらいはやっている。(たしか…)


そんな捻挫ライフに終止符を打ったのは、小学校三年生のころである。


担任のA先生が体育の授業で今までとは違う準備運動(ストレッチ)を教えてくれた。


足首の外側を地面にぺたっと添わせるようなやつだ。




捻挫とは一種の靱帯損傷のことであろうか。これは癖になりやすい。


癖…


反復性…


これはけっこう僕のキーワードである。



脱臼の手術はそんなに難しいものではない、しかし1パーセントでもリスクがある以上はやる本人は怖いものである。


手術は無事成功し、二週間の入院を経て退院して今に至るところである。


そういえば脱臼も反復性がある、癖になりやすいのだ。


つまり捻挫、脱臼から僕が言いたいことは、癖、反復性のことだ。


自分で言うのもなんだけど、自分は根気強く一つの物事に対して取り組み、達成することができる人間だと思っている。


地道に基礎練習を反復し積み重ねていくことは、その道のプロフェッショナルになるための条件だと考えている。



僕の過去の怪我はこの反復性が大いに関係しているというか、そんな気がしてならない。何かを気付かせるサイン…。


話が飛ぶが、僕は人生とはこの世に生まれてくる前に自分自身で設計したものであって、その設計した人生が実現できそうな親を見つけて選択し生まれてきているという考え方をもっている。(様々な本を読み、自分が納得できるような哲学を勝手に作った。)この際にポイントとなるのは、その設計図はこの世には持ち込めないということである。つまり、自分が設計したものでありながら、日々設計図を参照しながら生きることができない。それゆえ様々なことで悩んだり苦しんだりするものであると考えている。



話を戻そう。結局思ったことは、「反復すること」とは僕にとって強みであるとともに弱点でもあるということなのではないかということである。


僕の「反復すること」という武器は、非常に繊細なのだ。だから扱いに十分に注意しなければならないと思った。


この武器は大切にしたい。








入院生活はそれほど嫌なものでもなかったと出てみて思う。中にいるときは早く出たいと思うものだが。


怪我とか病気は自分がやってみないと絶対に当人の気持ちはわかりっこない。結局人事である。これは悲しいことでもなんでもなく、ただそれだけのことだ。


病院ではいろいろな気持ちになった。


ベッドのレイアウトで環境が違った。


やっぱり病院は閉鎖的であるということが心に残る。


スタッフがどのような人間かで入院生活はぜんぜん違う。


かわいい子がいればいいとかそんなんじゃない。おばちゃんでも人間性豊かな人がいて、仕事をしている姿が輝いていれば若さはさほど重要ではないのだ。


その病院は小さいが、先生は腕が良く、スタッフの動きも良かったと思う。


あとは建物をなんとかすれば…。


二週間という短い期間であったが、僕の建築的栄養になる体験であった。





今後はどうしようか…。






世の中には障害を持った人や大変な病気をもった人がたくさんいる。


僕にとっては今回の手術も大きな恐怖であった。


もっと大きな恐怖を背負った人間がどれだけいるのだろう。


健康な人間は健康であることの責任を果たさなくてはならないと感じる。


だから僕は環境の創造者として、建築家として一流になりたい。


勉強しなければならないことは一生つきない。


未熟すぎるといつも感じる。


でも明日は今日よりほんの少し前進した自分になれる。


そんな小さな積み重ねを僕はこれから何十年も続けるつもりだ。


自分の武器を駆使しながら。












おわり






















































午後からフットサルをしに行ってきます。


楽しみ。


そのあとは飲んで終電かな。




昨日は併読していた本の大半を読み終わったんですが、残り3,4冊になるとローテーションが早くなるもんで、


飽きるというか、よほど面白い本でないと苦しくなるんですね、自分の場合は。


なので新しく本を併読し始めました。


併読のスタイルの方が自分にあってる気がします。





マニュアルカーは渋滞のとき足がつりそうになります。


もうこのときだけはオートマが羨ましい。


昨日午後、洗車しましたよ。


綺麗にすると運転がより慎重になっていいかと。


まだ運転技術はビギナーです。


ハンドルの重いうちの車を乗りこなせるよう練習じゃ!


滑らかに運転したいですね、まあかっこつけたいだけですね。。。






というJ-WAVEのプログラムは面白いです。


音楽が心地よい。


MCがいかしてる!


今日も本読もうっと。