きのうの続きになります。

夕べは、夫と晩ごはんを食べながら、ブサ可愛子ちゃんの思い出の引き出しを、あちこちと開けていました。


夫は毎朝のリチュアルがあり、地上にいる人、天国にいる人を含め、自分の愛する全ての人の幸せを祈っています。

ひとりひとりをビジュアル化しながら。

そして当然その中に自分自身もいるのだけど、その自分はこのワンコを抱いている、と言うのです。

なぜかと言うと、それが夫にとっての

シンプルな幸せの象徴だかららしいのです。

シンプルな幸せ、それが一番大切なものだから、と。

ハッとしました。

言葉にできないけれど、わかるのです。

このワンコを両腕に抱えた時の感覚が蘇ります。

フサフサの毛並み、丸っとした重みと暖かさ。

早く打つ鼓動と吐息。

エネルギーの塊が腕の中にいました。

単純に、愛され、愛し返そうとする命。

夫はその腕の中に究極の幸せを見出していたんだ…

でも明日からワンコは地上の祈りから天の祈りになる。自分の腕の中での祈りは今日が最後だった、と言いました。

私は黙って聞いていました。


喧嘩ばかりのわたしたちですが

この夫でよかったと思うのは

こんなときです。


物欲の全くない夫。

物への執着がなくて、ベッドのサイドテーブルには

読みかけの本と、観光地でもらった記念のカードがしおり代わりに置いてあるだけ。


大切なものが物じゃなくてよかった。

喧嘩ばかりだけど、私たちが別れないのは

私たちには歴史と思い出があるから。

夫は私の歴史であり

私は夫の歴史であり。

一緒にいくつもの旅をし、色々な国に住み、

私は夫の忘れてしまった思い出を語り

夫は私の忘れてしまった部分を補う。

2人揃ってひとつの思い出だから

そして私たちは未だに毎週のように

夢を語り合います。

近い将来、少し遠い将来。

いつもこうして夢を語り合いながら

夢を叶えてきました。

そしてこれからも。


ワンコの死に、夫の言葉に

幸せとは何か、改めて考えさせられました。


Life is journey。

肉体を離れたワンコの旅も、これからも続きます。