【僕の生誕に関わる「聖地」のお話✨】


今から103年前
1923年の今日2月20日
東京駅前にあった
『丸ノ内ビルヂング』竣工日✨

現在も同じ場所に
「丸の内ビルディング」は
あるんですが 
『丸ノ内ビルヂング』 は
もう過去の建物……実は……


毎年
今日2月20日になると
この場で
語っておりますが……😅

まあなんせ……
大袈裟ではなく……
僕にとっては……

かなり
大切な日なので
もちろん今年も
語らせてもらいます……😂

この通称
『丸ビル』は
僕の生誕においては……

ホントに
大袈裟ではなく……

絶対に
無くてはならなかった
不可欠な存在の
建物だったから……

僕にとっては
大切なマジ
「聖地」なんです✨

その理由は、
投稿の後半に……

お若い方々は、
東京駅前に
綺麗な高層の
『丸ビル』と『新丸ビル』は
フツーに今もあるよね??

と思われるかも
知れませんが……😅

両方のビルとも、
2000年代に
綺麗に高層ビルに
建て替えられたもの……

昔と同じ場所に
同じ通称で
『丸ビル』『新丸ビル』と
呼ばれてますが……

僕から
言わせると……

低層階の外壁は、
昔のイメージが
残されてはいますが……


全く別物って
感じなんです……😅

昔の
『丸ノ内ビルヂング』の
跡地にあるのは
2002(平成14)年に
新しく建て替えられた
『丸の内ビルディング』……

通称
『丸ビル』の呼び名は
変わってはいないものの……

『ノ→の』
『ヂング→ディング』の
表記は違います……

昔の
『丸ノ内ビルヂング』
通称『丸ビル』は
今から
103年前の
1923(大正12)年
2月20日竣工……

当初は、
地上8階、
地下1階でしたが……

後に地上9階、
地下2階に増築……

現在では、
当たり前の
オフィスビルの低層階を
一般客に開放した
ショッピングモール風に
展開する形態とか……

当時レンガ造りが
一般的だった中、
コンクリート造りの
高層ビルは『丸ビル』が
日本では初めてでした……


竣工直後の
1923(大正12)年
9月1日に発生した
関東大震災により、
多少被災したものの……

コンクリート造りであったため、
被害は軽微で済んだそう……

昭和前期では、
日本最大のビルであり、
『東洋一のビル』とも言われ……


質量の比較単位として、
『丸ビル何杯分』などと
引用されてました……

今は
『東京ドーム何倍分』
ですよね……😅

都市計画に合わせ、
高層化の建て直しが計画され、
本当に惜しまれながら……

1997年4月5日に
閉館となりました……

1999(平成11)年に解体され……

2002(平成14)年に
当地にはあらたに
『丸の内ビルディング』が
建設され現在に至ってる訳です……


さて実は……

冒頭から
僕の「生誕」に
不可欠だとか…… 

「聖地」とか……

大袈裟に言っている僕と
この昔の『丸ビル』との
関係なのですが……😅

1952(昭和27)年から、
1997(平成9)年の
『丸ビル』が
閉館されるまでの45年間……

僕の父親は、
『丸ビル』内で
働いておりました……

僕の父親は
当時『丸ビル』の
1階に店舗があった
『銀星(ginsei))』と言う
洋食レストランの
『コック長』として
腕を奮ってました……

そして……

僕の母親も……

その
『銀星(ginsei))』と言う
洋食レストランの 
『ウエイトレス』
だったんです……😅

ようするに……

『丸ビル』の
職場恋愛からの
職場結婚🔔💏🔔

その『銀星』の
オーナー夫妻が
僕の両親の
仲人でしたし……

その『銀星』と言う
『丸ビル』の中にあった
洋食レストランで、
僕の両親は出会い……

僕はこの世に
産まれたわけ
なんです……😅

なんせ、
僕の父親の名前
「光夫」の「光」と
その『銀星』の
オーナーの名前
「清明」の「明」で、
僕の名前が
「光明」ですから……😅

同じ「光」「明」の
文字は入ってますが……😅

大河ドラマの
「麒麟がくる」の
主人公「明智光秀」とは
一切全く関係ないですけど😂

でも……
今思えば
本当に……

この世に
『丸ビル』が無かったら、
決して大袈裟ではなく……

父と母との
出会いの場は存在せず……

僕はこの世に
産まれていなかった
と言っても

過言ではないほど
僕にとっては
大切な存在の建物、
そう「聖地」……

それが
『丸ビル』なんです✨

僕も幼い頃から
良く『丸ビル』には
行きました……

幼い頃は……

丸ビル内の
全従業員対象の
『丸ビル列車』と言う、
国鉄(現JR)の臨時列車を
借り切っての
『日帰り旅行』などもあり……

両親と幼い僕とで
参加しましたし……

父親のレストランで
学生時代
バイトをしたことも
ありましたから……

そんなこともあり、
当時の『丸ビル』で
お勤めだった多くの方々……


ビジネスマン、OLさん、
警備員さん、他飲食店や
文房具店、洋服屋、
テニスラケット専門店の方などなど……


沢山の顔馴染みの方も
多くいた『丸ビル』……

ほんと
懐かしいです……😂

すごくすごく、
温かな
ビルヂングでした……😍

『丸ビル』が
取り壊された翌年に……

父親は64歳で
『丸ビル』とともに、
この世を去りましたが……

父親の
遺品整理を
していたときに……

父親の財布には……

勤め先の
洋食レストランだった
『丸ビル  銀星』の時代の
名刺が1枚と……

『丸ビルの全景写真』
が入ってました……

父親にとっても
『丸ビル』は
人生そのものだったし、
誇りだったんでしょうね………

やはり……

今でも僕の中には
『父親=丸ビル』みたいな
気持ちは強く残ってて……

今でも
東京駅に訪れたときに……

現在の
『丸の内ビルディング』を眺めたり、
ビルに足を踏み入れると……

お恥ずかしながら……

胸が熱くなり、
涙が溢れそうに
なってしまいます……😢


僕の人生に
無くてはならなかった
僕にとっての
「聖地」である
『丸ビル』の思い……

ご理解していただけました??😅

という事で……

今日は
僕の父親と同然の愛すべき💕
『丸ビル』の記念すべき
103歳のお誕生日🎂

あくまでも
心の中でですが……

『Happy Birthday  丸ビル!!🎂』
と思いながら……
今日一日を過ごします✨

素敵な一日をお過ごし下さい🎵