【「深紅のブレザー」のこだわり✨】
60年前
1964年の今日10月10日は………
『東京オリンピックが開催された日』☝
当時は
僕はこの世に産まれて
8ヶ月の赤ちゃんの頃👶
現在の
ハッピーマンデー制度導入前は
今日10月10日は必ず
『体育の日』でした☝
8年前2016年に
銀座に80万人が集まった
「リオ五輪祝賀パレード」
メダリストは全員、
リオ五輪開催式で着用した
「赤のブレザー」&
「白のトラウザース(ボトムス)」姿……
60年前の
1964年の東京五輪でも
「赤のブレザー」&
「白のトラウザース」で
日本五輪選手団は開会式の
入場行進しました☝
1964年の東京五輪の
「真紅のブレザー」に
オマージュを込めたデザインで……
8年前
2016年リオ五輪の
「真紅ブレザー」を製作したのは
「タカシマヤ」らしいです……
素材は機能性や、
暑さを考慮して、
ストレッチニットや
吸湿速乾性に
優れた高機能素材を
使用していたらしい……
1964年
東京五輪で製作された
ブレザーは別名
「日章旗ブレザー」
と呼ばれてます……
日本の国旗
「日の丸」の正式名称
「日章旗」の名がついた
国の威信をかけた
一着であったことが判る
命名ですよね……
当時の
「日章旗ブレザー」の
デザインは「ブレザー」という
名前を一般的に
日本に知らしめた
「VAN(ヴァンヂャケット)」の
「石津謙介」氏だと
思われている方も多いでしょうが……
実は
「望月靖之(もちづきやすゆき)」
という人物であったことは
案外知られていないです……😅
僕も
かれこれ40年以上、
メンズアパレルの仕事に
携わっていましたが……
ずっとデザインは
「石津謙介」
と思ってましたから……😅
まあ……
JOCの公式HPでも
「石津氏」
となってるらしいですから、
そりゃあ、そう思いますよね😅
かれこれ10年ほど前
渋谷・ヒカリエで行われた
1964年創業の
日本を代表する
トラッドブランド
「ニューヨーカー」の
創業50周年のレセプションに
ご招待いただいた時に……
1964年東京五輪の
実物の「日章旗ブレザー」を
拝見させて頂きました……
その際、
その真実の裏話を聞かされ、
後日、僕自身で文献やら、
インターネットをあたり、
詳しく調べた次第です……😅
いろいろと
調べていくと……
なんと
「石津」と「望月」は
犬猿の仲だったらしい……
1964年東京五輪
「日章旗ブレザー」を巡って、
日本の紳士服の歴史上の
大御所二人の間に
何が起こったんでしょう??
今日はそんな
『日章旗ブレザー』の裏話を
掘り下げてみました👍
「望月」は神田三崎町で
テーラー兼、学生向きの
生協のような店を
経営していました……
そこに
水泳ニッポンの名を
世界に轟かせた
「古橋廣之進」らが来て、
「望月」と親交を深めたことから……
次第に体育界の
重鎮らの知るところとなり……
最初はアジア大会、
さらにヘルシンキ、
ローマ、東京五輪などで
日本選手団の服装を
請け負うようになったそう……
「望月」自身は
デザイナーでも
仕立て職人でもなく……
営業を得意とし、
戦後間もない
ヘルシンキ五輪のときは
素材の調達から縫製まで、
テーラーの仲間を募って
製作にあたらせたそうです……
いわば……
持ち前の行動力と
弁舌の明朗さ、
そして組織作りの
上手さによって
体育関係者の信頼を
獲得した人物でした……
1964年
東京五輪開催が決まって、
当時の日本国としても
かなりの力を入れたわけで……
そうそうたる面々が
東京五輪のデザインを
作り上げたのは
今でも有名なお話……
東京五輪の
優れたデザイン力は、
戦前の宮様だった
「竹田恒徳」という
人物がプロデューサーとなって……
「亀倉雄策(ポスター)」
「市川崑監督(映画)」
「柳宗理(聖火トーチ)」らを
引っ張り込んだから、
それは凄い力の入れようでした……
ファッション面においても、
「竹田」は
「石津謙介」「森英恵」らを
赤坂離宮に設けられた
デザイン室に招集して、
選手団の服装を
検討させようとした
話もあったそうです……
しかし……なんと……
「石津」らが
呼ばれたときは、
すでに
「望月」の根回しは
完了していて、
新たなセレモニー用の
ブレザーを見直すような
時間はなかったそう……
結局、
「石津」たち優秀な
ファッションデザイナー陣は、
大会関係者用の
各種ユニフォームのデザインを
手がける仕事しかなかったみたい……
さぞや「石津謙介」は
欲求不満だったんでしょうね……😅
日本における
ブレザーの教祖といわれた
「石津」の不満が爆発した記事が
1964年9月号の
「日繊ジャーナル」に
掲載されたそうですから……
その内容を要約すると……
ブレザーの色を
日の丸に似た
鮮やかな赤にしたことを
誉めながらも……
パレード用のユニフォームに
高級な純毛生地を選び、
選手一人ひとりの寸法をとって
仮縫いまでした
高級なお誂え品であったことには
文句をつけたそう……
これからは
安くて着心地の良い
既製服でいくべきで……
その論拠として、
米国選手団のブレザーが
当時最新の合繊ストレッチ生地を
使用したことを挙げ……
既製服の先進国と
一張羅(いっちょうら)主義の
日本の違いを嘆いたそうです………
しかし、
「望月」にも
言い分はありました!!
ヘルシンキ五輪で
着用されたブレザーを、
当時「スポーツの宮」と呼ばれて
国民に親しまれ、
欧米の服装マナーにも通じている
「秩父宮殿下」にお見せしたところ……
「これはブレザーではない、
単なるユニフォームだよ」
と言われてしまったことが
あったらしいです……
さらに
「選手が一度しか着ないのは
もったいないかもしれないが……
言葉の通じない国際大会で
国をアピールするのは服装だ!!
開会式に着るブレザーは
スポーティでありながら、
フォーマルでなくてはならない!!
色は国旗「日の丸」を
ヒントにしたらどうだろう
それを調整する君の責任は重い」
と励まされたらしいです……
一念発起した「望月」は
「日章旗ブレザー」を
製作するにあたって……
「貝島正高」「後藤祥夫」
「金子盛平」「石川栄治」
「今井文治」など、
商いの派閥を超えて
日本最高峰の
テーラー63名を結集……
ベースとなる
マスターパターンは、
裁断の技術書を何冊も著した
「貝島正高」が担当……
採寸もドロップ寸
(バストとウエストのサイズの差)が
大きいスポーツマン体型の選手が
多いことを考慮して……
より細かなデータの取れる
ショートメジャーリングシステムを
併用するなど万全の態勢をとりました……
50年以上を経た現在でも、
まったく新品同様に思える
品質を保って完成した
日章旗ブレザーのディテールは、
「シングル3つボタンの2つ掛け」
「センター(たしかフック)ベント」
「3パッチポケット」……
そして、
胸ポケットには日章旗と
金糸による五輪の刺繍入り……
「袖口1個ボタン本切羽付き」
「薄いパッド入りの
テーラードショルダー」……
あえて
フォーマル性を出すため
「ラペルまわりや
ポケットの端には
ステッチを入れない」というもの……
細部にまで、
ほんとにこだわってます……
「マットウーステッドの赤い生地」は、
商売を度外視して……
先述の
「ニューヨーカー」前身であり、
親会社の
「大同毛織(現:ダイドーリミテッド)」
が特別に織染めしました……
僕が10年ほど前に
「ニューヨーカー」の
レセプションで拝見した現物も
50年以上を経た現在でも、
まったく新品同様に思える
色褪せず品質を保ってました……
1964年といえば
戦後の紳士服をリードしていた
注文服のシェアが半数を割り、
既製服が台頭してきた時代……
危機感を感じた
日本のテーラー(仕立て屋)たちは
力を振り絞って……
選手団450名の
「日章旗ブレザー」
国の威信と自らの誇りを胸に
作りあげたのでしょうね……
一方……
完敗したと思われる
「石津謙介」ですが……
彼の予言通りに先般の
「リオ五輪の
セレモニーブレザー」は
ストレッチニットで
高品質かつリーズナブルな
工業ラインシステムによって
生産されました……
さすが!!石津謙介!!
先見の明がありました……
この「日章旗ブレザー」勝負……
「石津」「望月」の両者は
仲良く引き分けですね……
僕も尊敬する
日本の紳士服の大先輩であり、
大先生のお二人はきっと……
「2020年東京五輪は
デザインの赤白は
やっぱ上下が逆じゃね??」
などと……😂
ふたりで仲良く天国で
酒を酌み交わしていたのかも
知れませんね……
素敵な一日をお過ごしください✨











