【今日6月第3日曜日と言えば……】


今日6月第3日曜日
2024年6月16日は
『父の日』👔💐

先月5月
「母の日」の由来を
掘り下げて……

今日『父の日』を
あっさりとスルーをして
しまうわけにもいかんし😂

やはり今日は……
『父の日』を
掘り下げててみましょ!!😉


大抵の「父親」は……

普段は仕事で
家にいる事も少なく……

しっかりと
家族の事を考えている??
いや考えてるはずの!!
『お父さん』👔🏃😵💦

それなのに……

休みで家にいると、
邪魔者扱いされてしまったり……

可愛そうな存在だったりも‥‥…😓
あったり……なかったり……😂

はぁ~良かった~😍

僕は父親にならなくて~😂
(少々負け惜しみ感が
あるものの😅)

僕の親父も多分に漏れず、
そんな存在だったのかも……😅

僕の親父は、
洋食レストランの
コック長でした……


唯一、
僕が一枚の持ってる
多分親父が40代の頃の
画像なんですが……😂

幼い頃は
朝早くから仕事に出掛け……
夜遅く仕事を終えて帰宅……

なかなか
幼い頃は頃は
平日は会えんかったし……😅

休みの日は
家でゴロゴロ‥‥‥😪

お袋に急かされて、
休みの日に親父は、
仕方なく面倒くさそうに
幼い僕を連れ出し……

朝っぱらから
「角打ち(軒先で酒呑める酒屋)」で
親父は酒をあおってからの~🍶


幼い僕は
その親父の足元で
バヤリースの
オレンジジュース飲んで……


そのあとは……

幼い僕を連れて
後楽園の場外馬券場へ🐎💴🐴➰💨

軽く後楽園遊園地で
遊んでもらって……🎠🎡🎢

帰りは池袋の立ち呑みの
焼きとん屋で親父は酒を呑む‥‥‥🏮🍶

僕はその親父の足元で
「かしらの塩」を頬張りながら
セブンアップを飲んでいた……😅



たしかに
マジに僕の親父は
半端ない酒好きでした……😅

やはり
血筋なんでしょうか??
似るもんですな……😂

でも幼いながらも、
そんな親父と過ごす
2人だけの休日は
楽しかった~😍

そんな親父は
多分、今日も
天国で相変わらず
酒呑んでるんで
しょうけどね😅

ところで……

皆さんはお父さんに、
日頃の感謝の気持ちは、
ちゃんと伝える事が
出来てますか??

最近の『父の日』の
アンケートでも……

あなたのお父さんは、
感謝の物品よりも、
感謝の言葉の方が
喜ぶらしいですよ💕

いずれにせよ……

なにかと「母の日」に
隠れてしまう『父の日』😅

そんな『父の日』ですが……

『父の日』の由来はご存知??

『父の日』は
アメリカから
伝わってきました‥‥‥

あれ??
確か「母の日」もと
思われた方も
いらっしゃるのでは??

『父の日』は、
「母の日」が出来たことを知った
「ソノラ・スマート・ドット」
と言う女性が……


『「母の日」のように、
父親にも感謝する日を』
と牧師協会へ嘆願したことが
きっかけで始まりました……

でも、
ソノラはなぜ??
父親にも感謝する日を
設けて欲しいと
思ったのでしょうか??

それは彼女が育った
環境に鍵がありました‥‥‥

ソノラの
父親は軍人でした‥‥

1861年、
南北戦争が始まると、
戦地へと召集されます‥‥

父親の留守中、
ソノラの母親は女手ひとつで
6人の子供を抱え、
働きながら一家を支えていました‥‥…

1865年、
南北戦争が終結し、
父親が復員すると間もなく、
母親は、それまでの過労が
原因で亡くなってしまいます‥‥‥

そこから、
父親と子供6人の生活が
始まりました‥‥…

さぞかし慣れない
男手の家事や子育ては、
大変だったことでしょう‥‥‥

ソノラの父親は、
再婚することも無く、
働きずくめの日々を送り、
子供たちが皆成人した後に
亡くなりました‥‥‥

南北戦争のあと、
決して今のように
豊かではなかったアメリカ……

母親亡き後、
父親が一人で
育て上げた6人の子供たち……

その兄弟の末っ子が、
ほかならぬ
「ソノラ」だったのです‥‥…

「母の日」の情報を聞いて
父親にも感謝の日を!!と
ソノラが思うのは、
当然といえば当然のこと
だったのかも知れませんね‥‥‥


「ソノラ」が、
父親にも感謝する日を
作って欲しいと
牧師協会に
嘆願したのが1909年‥‥…

翌1910年6月19日に、
父の日の最初の祝典が
開催されますが……

一般に
知れ渡るようになるまでには、
6年の歳月がかかりました‥‥…

1916年の父の日の祝典で
アメリカ合衆国
第28代大統領
ウッドロー・ウィルソンが
演説を行ったことで
広く知れ渡ったと言われてます‥‥…


1966年にはアメリカ合衆国
第36代大統領
リンドン・ジョンソンが
父の日を称賛する
大統領告示を発し、
6月第3日曜日を
『父の日』に定めます‥‥…


『父の日』が、
正式に国の記念日として
制定されたのは
1972年のことでした‥‥…

さて、
日本の『父の日』はと言うと……

日本で
『父の日』が広まり始めたのは、
1950(昭和25)年頃からなのですが……

認知度は低く、
一般的な行事として
知れ渡ったのは
1980年代になります‥‥…

デパートなどが、
販売戦略の一つとして
『父の日』を
イベント化したことが
一般に広まったきっかけ‥‥‥

ところで……

「母の日」は一般的には
カーネーションですが……

『父の日』の花は
何かご存知ですか??

はて??
『父の日』に贈る花は何??

それは
「バラの花」なんです……🌹


『父の日』の提唱者である
ソノラが『父の日』に
父親の墓前に「白いバラ」を供えた
というところに由来してます‥‥…

バラの色は、
母の日のカーネーションと同様で
「存命する父親には赤」
「亡くなった父親には白」を
贈ると言われてます‥‥…

あれ??
父の日に贈るバラの花って、
「黄色」じゃないの??😅


もしくは、
黄色の「ひまわり」では??😅

こんな風に感じている方も
いらっしゃるかと思います‥‥…

なぜ??
「黄色いバラ」が
そして「黄色いひまわり」が
定着したのでしょうか??

日本には、
1981年に設立された
「日本ファーザーズ・デイ委員会」
が開催している
「父の日 黄色いリボンキャンペーン」
があります……


「ベスト・ファーザー 
イエローリボン賞」
聞いたことありませんか??

このイベントも、
「父の日黄色いリボンキャンペーン」
の一環です……

「父の日黄色いリボンキャンペーン」
では、幸せや幸福の象徴である
「黄色」を『父の日』の
イメージカラーとしています‥‥


このことが、
バラの花と融合して
黄色のバラを送る風習が
生まれ日本では定着しました……

では……

「日本ファーザーズ・デイ委員会」が
父の日のイメージカラーを
「黄色」とし
「黄色いリボン賞」を設けたのには、
こんな由来があります‥‥‥

実は‥‥‥

「黄色」は、
世界で最も大切にされている
色のひとつなんです……

この「黄色」ですが
身を守るための色として、
イギリスで生まれました‥‥‥

イギリスには、
昔から黄色いものを身に着けると
身を守ることができる
という言い伝えがあります‥‥

その黄色がアメリカに渡り、
愛する人の戦場での無事と
帰還を願う「黄色いリボン」
となりました‥‥‥

昔のアメリカの開拓時代の
映画とかに出てくる
「騎兵隊」のシンボルマークは
「イエローリボン」でしたよね……


やがて、
黄色や黄色いリボンは
「命にかかわる大切な色」そして
「愛と信頼と尊敬を表す色」として
世界各国に広がっていったのです‥‥…

今日『父の日』にあれこれと
『父の日』を掘り下げてみました👍

この世に
親父が生きているうちは……

『父の日』よりも
「父の誕生日」に重きをおいて
祝ってましたが……😅

あの世に
父親が逝ってしまうと……👼

「父の誕生日」より……


なんとなく
『父の日』を
大切にしてしまうものです😂

今宵はあの世でも
毎日呑んでるだろう
僕の親父と乾杯でもして
『父の日』の感謝の言葉でも
プレゼントするとします✨

素敵な『父の日』を
お過ごしください🎵