【愛しき渋谷駅前のシンボルのお話☝】


今日4月8日は
渋谷の『ハチ公の日』🐶🎶

「忠犬ハチ公銅像及び、
秋田犬群像維持会」が制定👍

実は……
「ハチ公」の命日は
3月8日🐶👼

命日の一ヵ月後の
4月8日を
『ハチ公の日』と
制定したんだワン🐶🎶

添付した画像のように……


「ハチ公🐶」も
多くの観光客に囲まれ
チヤホヤされたり……


親しい恋猫😼と
仲良く過ごすことも
多いようです……😅

さて……
皆さんも
良くご存知……

渋谷駅前のシンボル
「忠犬ハチ公」……

僕も通っていた大学が
渋谷だったこともあり、
スゲー愛着あります……💖

お恥ずかしいことに……

学生時代に
酒呑んでハメはずして、
不謹慎にもハチ公に跨がって、
近くの交番の警官に怒られたり😅

さて……

『ハチ公』は
1923(大正12)年生まれの
秋田犬🐶


生まれた
翌年1924年から
東大農学部の
「上野英三郎博士」に
飼われることになりました……


上野博士の存命中は
毎日、渋谷駅まで博士の
送り迎えをしていましたが……

1925年に
博士が外出先で、
急死したあとも
毎日、渋谷駅前で
主人の帰りを待ち続けた……


その一途な姿から
「忠犬」と呼ばれるようになり……

1934(昭和9)年に
渋谷駅前に銅像が建てられました……
(僕の親父が生まれた年なんや😅)


銅像の除幕式には
「ハチ」自身も
出席しましたが……

翌1935年に天国へ……👼


「ハチ公」の銅像は
第二次大戦中に供出され……
(軍需の生産の資材に提供)

現在のものは
1947(昭和22)年に
再建されたものです……

もちろん現在でも、
『ハチ公の日』には、
渋谷及び、秋田県大館市で
慰霊祭が行われているそうです……


さて……
ここまでのお話は……

皆さんも多分、
ご存知でしょうから……

もう少しばかり
「ハチ公の生涯」について
掘り下げてみました👍

もちろん、
どんな生き物においても……

「寂しさ」という
感情というものが
存在するのだと
僕は思ってます……

僕は15年ほど前、
結婚していた頃……

ウエルッシュ・コーギーの
ブリーダーをしていたので、
少なからずワンちゃん達の
気持ちは理解してるつもり……🐶


主人を待っていた
「ハチ公」には、
「本能」という言葉だけで
片付けられないものがあります……

人間との間に
「言葉」を持たない分……

彼らは素直に行動に
出てしまうのでしょうね……

特に人間の
約4倍以上のスピードで
彼らは一生を
終えてしまうわけで……

わずか一日でも、
愛すべきご主人に
会えないのは……

彼らにとっては、
4日以上も会えないような
時間的な感覚なんでしょうし……

一週間会えないのは
大好き飼い主に
一ヶ月以上も会えないのと
同様なんでしょう……

だからこそ……
大好きな
飼い主に会ったら……

そりゃあ、
彼らは「嬉(うれ)ション」
だってしちゃうわけ🎵

ご自身の愛犬と
一緒にいるときは、
とことん、可愛がって、
そして愛してあげないとね💕

【ハチ公の生涯】
⬇⬇⬇⬇⬇

●1923(大正12)年11月10日
「ハチ」誕生
 

●1924(大正13)年1月14日
上野英三郎宅で生活開始
 
上野宅で「ハチ」は、
「ジョン」と「エス」という
2頭の犬たちと共に飼われました……

このうち
ポインター犬の「ジョン」は
特に「ハチ」の面倒見が
良かったらしいです……

「ハチ」は、
玄関先や門の前で
主人・上野を見送り、
時には最寄駅の渋谷駅まで
送り迎えすることも……

●1925(大正14)年5月21日
主人・上野が会議中に脳溢血で急死

「ハチ」はいくら待っても
帰って来ない主人のことを憂ってか、
この後、3日間何も食べなかった……

25日には
故主・上野の通夜が行われたが、
その日にも「ハチ」は、
「ジョン」と「エス」と
一緒に故主・上野を
渋谷駅まで迎えに行ったらしい……

渋谷駅で
上野が帰宅していた時間に
「ハチ」が頻繁に
目撃されるように……

「ハチ」が
代々木・富ケ谷の
小林宅に移ったのは、
故主・上野が死亡してから
2年余りが経過した
1927(昭和2)年の秋のこと……

「ハチ」は小林宅でも
愛育されていたものの……

故主・上野を慕う情は止まず……

渋谷大向の故主上野宅を訪れ、
上野がいないことを知ると……

渋谷駅を訪れては
道行く人々を見ながら……

食事のために
小林宅に戻っては
また渋谷駅に
向かうということを
繰り返していたそうです……

また「ハチ」が
渋谷駅を訪れる際には、
途中の渋谷大向にある
旧上野邸に必ず立ち寄り、
窓から中を覗いていたという……

●1935(昭和10)年3月8日
午前6時過ぎ「ハチ」は
天国の主人の元へと旅立つ……

故主・上野が死去してから
10年近くが経った
1935(昭和10)年3月8日
午前6時過ぎ……

ハチは渋谷川に架かる
稲荷橋付近……

滝沢酒店
北側路地の入口で
死んでいるのを発見されました……

ここは渋谷駅の反対側で、
「ハチ」は普段行かない場所……

「ハチ」の死後、
渋谷駅では「ハチ」の
告別式が盛大に行われ……

人々が多数の方々が、
参列したそうです……

「ハチ」は故主・上野と
同じ青山霊園に葬られ、
亡骸は剥製にされました……


「ハチ」の剥製は
現在、東京・上野の
国立科学博物館に所蔵され、
展示されてます……(添付画像⬇)


僕も数回、
上野の科学博物館へ
『ハチ』の剥製に会いに
行ったことあります✨

当初は「ハチ」は
駅員や焼き鳥屋に
いじめられていたそうです……

「ハチは困ることには
おとなしいものだから、
良い首輪や、
新しい胴輪をさせると
直ぐ人間に盗みとられる……

(中略)

また駅の
小荷物室に入り込んで
駅員にひっぱたかれたり……

顔に墨で
いたずら書きされたり……

またある時は、
駅員の室から
ハチが墨で眼鏡を書かれ、
八の字髯をつけられて
悠々と出て来たのに対面し、
私も失笑したことを覚えている……

夜になると
露店のオヤジに
客の邪魔と追われたり……

まるで喪家の犬の
あわれな感じであった……」

その後……

「ハチ」のことが
新聞に投書されてから、
皆、可愛がるようになったらしい……

「ハチの悲しい事情を
人々に知らせて、
もっといたわって
貰いたいものと考え、
朝日新聞に寄稿したところ……

その記事が
大きく取り扱われ、
昭和7年10月4日付朝刊に……

『いとしや老犬物語、
今は世になき主人の帰りを
待ちかねる七年間』

という見出しに……

「ハチ」の写真入りで報道され、
一躍有名になってしまった……

(中略)

朝日の写真班員の来駅で
駅長がびっくりしてしまい……

東横線駅ともども、
駅員や売店の人々まで
急にみな可愛がるように
なってしまった……」

(斎藤弘吉
『日本の犬と狼』雪華社より)


また……

「ハチ」は主人を
待っていたのではなく……

焼き鳥が欲しいから
駅まで行っていたという
説もありますが……

当時飼い主であった
小林氏は「ハチ」に
しっかり餌をやり
面倒を見ていましたから……

しかし、
「ハチ」の死後の解剖で
焼き鳥の串が胎内から
数本出てきたことが、
その説に
繋がっているようです……

しかし……

生きている上での
余分な食欲が
一匹の生き物を
10年間も動かすのでしょうか??

そんな
あさましい発想や、
貪欲さを持っているのは
動物の中では
人間ぐらいなもの……

人間以外の動物は
もっともっと純粋なんだと、
僕は思ってますけどね……

現在は「ハチ」は、
大好きなご主人である
上野氏の墓の傍らで、
一緒に眠っています……

そして、
『ハチ公』没後80年にあたる
9年前の2015年3月8日、
『ハチ公と上野英三郎博士像』が、
東京大学農学部の
キャンパスに建立されました……


どなたでも、
時間内であれば、
キャンパス内には入れます☝

お近くにお越しの際は、
90年ぶりに再会した
『ハチ公』と
「上野博士」の
お互いの嬉しそうな姿を
是非、ご覧ください……


『ハチ公と上野英三郎博士像』は
農学部正門入って
左(アネックス前)にあります……

ともあれ……
飼い犬である
「彼ら」にとっても……

飼い主である
「僕ら」にとっても……

お互いに
偶然ではなく、
必然的に出会って……

ともに一緒に生活をする
かけがえのない
家族なのですから……

今、ワンちゃんと
暮らしている方々は、
是非、今以上に大切に
「彼ら」を
愛してあげてくださいね💕

また……

今日はそんな
『ハチ公の日』🐶

渋谷に訪れる方は……

葉桜の樹の下で
初夏を待ってる
「ハチ公」を
祝福してあげてくださいね💕

素敵な日をお過ごしください✨