【カレーのうんちく100選のご紹介🍛】


今日1月22日は
『カレーの日』🍛

42年前、
1982年1月22日
「全国学校栄養士協議会」が
学校給食35周年を記念して
日本全国の小中学校給食に
カレーを提供したことに由来👍


今日は
『カレーのうんちく100選』を☝

なんせ……

100選ですから
かなり長~いですよ……😅
⬇⬇⬇

【カレーのうんちく100選🍛】

01.
「カレー」とは多種多様な
香辛料を併用し食材を味付けする
インド料理の調理法を用いた
煮込み料理のこと

02.
これは欧米人が名付けた呼称で、
インドではコルマなど
各々に固有名称があり、
「カレー」という料理はない

03.
また日本で「タイカレー」
と呼ばれるものはタイの宮廷で
発祥した「ゲーン」で、
インド料理とは関係ない

04.
しかしインドのドラヴィダ語族には、
野菜や肉、食事やおかずを意味する
「カリ」という言葉がある

05.
それがインドの旧宗主国の
英国人によって、英語で
「curry」と表記されるように
なったといわれている

06.
17世紀、欧州では、スペイン、
ポルトガルが没落し、
代わって英国とオランダが
アジア海域に進出していた

07.
1639年イギリス東インド会社は
チェンナイの地を取得。
1757年にはフランスとの
植民地抗争に勝利する

08.
結果、英国はインドの覇権を
握るようになるが、その航海時代に
英国人船員たちがこだわったのが食事

09.
彼らは航海中にシチューを望んだが、
大事な食材である牛乳が
日持ちしないことから
諦めるしかなかった

10.
そこで牛乳の代わりに、
保存のきくインドの香辛料を使用し、
シチューと同様の具材で
作った料理を考案

11.
この当時の船員たちの料理が
「英国式カレー」の由来の一つ
といわれている


12.
1772年、インドで総督を務めた
ウォーレン・へースティングズは、
インドのカレー料理を英国に紹介した

13.
それはインディカ米にターメリックで
着色した野菜と肉のスープをかけた
「マリガトーニスープ」だった

14.
しかし当時の英国人にとって、
多種多様な香辛料をインド人のように
使いこなすのは非常に難しかった

15.
19世紀初頭、英国の食品会社C&Bは、
あらかじめスパイスを調合した
世界初の「カレーパウダー」を発売

16.
1810年の
『オックスフォード英語辞典』には
〈カレーパウダー〉という単語が
掲載されている

17.
次第にカレーは英国の家庭料理として
普及していくが、インドと異なり
英国式カレーは「牛肉」も使用する

18.
英国の中流以上の家庭では日曜日に
ローストビーフを焼く習慣があり、
牛肉使用はその影響といわれている

19.
日本で初めて「カレー」という言葉が
登場したのは、1860年に
福沢諭吉がまとめた『増訂 華英通語』


20.
現在、日本でいうところのカレーは、
ルゥを米飯にかけて食べるもので
「カレーライス」とも呼ばれる

21.
これはインドから英国に渡った
カレーが、江戸後期~明治時代初頭に
日本に流入し、独自に発展したもの

22.
明治期には英国からC&Bの
カレーパウダーも輸入されていたが、
日本式カレーの特徴はとろみの強さ

23.
1872年に出版された
『西洋料理指南』には、日本で初めて
カレーライスの調理法が紹介されている

24.
材料は「ネギ・ショウガ・ニンニク・
バター・エビ・タイ・カキ・鶏・
アカガエル・小麦粉・カレー粉」

25.
一方、同年に出た『西洋料理通』では
「牛肉・鶏肉・ネギ・リンゴ・
小麦粉・ユズ・カレー粉」となっている

26.
「カエル肉」の使用はフランス料理の
影響という指摘もあるが、
カエル肉を使ったレシピは
普及しなかった

27.
また双方のレシピに登場する
「ネギ」とは長ネギのことであり、
カレーライスで一般的な
タマネギではない

28.
現在カレーの具として知られる
「ジャガイモ・ニンジン・タマネギ」は、
明治初頭にはまだ珍しい西洋野菜

29.
のちに開拓地の北海道を中心に
国内生産が広がり、大正時代に入って
現在のカレーライスの原型が完成する

30.
「ライスカレー」という言葉は
1876年に札幌農学校に着任した
クラーク博士が考案したといわれる

31.
しかし明治初頭、カレーライスは
限られた西洋料理店でしか味わえない
「高級ハイカラ料理」であった

32.
1905年、大阪の薬膳問屋の二代目主人・
今村弥兵衛は国産初の即席カレー粉
「蜂カレー」を発売


33.
このカレー粉は近隣の飲食店では
使用されたが、一般家庭にまで
浸透するには至らなかった

34.
一方、英国式カレーは
料理店のみならず、大日本帝国海軍で
「海軍カレー」として独自に発展

35.
当時、海軍軍人の病死の最大原因は
脚気であったが、軍医・高木兼寛は
それが白米に偏った食事にあると指摘

36.
高木は日本と同盟関係にあった
英国海軍を手本に、栄養バランスを
考えた「食事改善」を行うことを
試みる

37.
英国海軍はカレー粉を入れた
ビーフシチューとパンを
糧食にしていたが、一般の日本人には
馴染みがない

38.
そこでカレー味のシチューに
小麦粉でとろみをつけ、
パンの代わりに米飯にかけた
カレーライスが誕生した

39.
日露戦争時、海軍の横須賀鎮守府は
調理が手軽で肉も野菜も摂れ、
栄養バランスがいいこのメニューを採用

40.
1908年発行の『海軍割烹術参考書』に
掲載して普及させ、第一次世界大戦を
通じ海軍・陸軍に広まった


41.
当時は徴兵制があったため、
除隊した兵士が郷里に戻り、
軍隊生活で親しんだカレーを
作ることもあった

42.
このことも、のちに
「国民食」といわれるほど
日本全国にカレーが広まった
大きな要素の一つといわれる

43.
明治時代末期になると
町の食堂メニューにもカレーライスや
「カレーうどん・そば」が現れ
大衆化が進行

44.
1910年大阪・難波「自由軒」が開業。
カレーソースと米飯をあらかじめ
混ぜた「混ぜカレー」が人気を呼ぶ


45.
1923年ヱスビー食品の前身である
「日賀志屋」はC&Bに匹敵する
本格的な国産カレー粉の製造を開始

46.
1926年大阪ハウス食品は
カレー粉・小麦粉・油脂・旨味成分等を
固形化したインスタントルゥを発売

47.
大正後期には東京のそば屋で
「カレー南蛮」や「カレー丼」など
和洋折衷料理が生まれ
安価な洋食として定着


48.
しかし日本の各メーカーは
1941~45年食糧統制のため
カレー粉の製造販売を中止。
軍食用のみを製造する

49.
カレーが軍で好まれたのは、
同じ食材でも味付けをかえれば
「肉じゃが」になり補給面の
都合がよいため

50.
肉は主に「牛肉」だったが、
第二次大戦中の日本軍は
食糧事情により「豚肉」も使用した

51.
戦後、食糧事情が悪かった日本は
1948年に友好国であったインドから
大量のスパイスの提供を受ける

52.
1949年にはハウス食品が
「ハウスカレー」の製造を再開。
翌'50年に日本初の固形ルゥを
誕生させる


53.
この頃にはヱスビーやオリエンタル、
蜂など他のカレーメーカーの製品も
出揃い、学校給食にもカレーが採用

54.
1956年日本登山隊が8000m峰である
マナスル登頂に成功したことを
きっかけに国内で登山ブームが起きる

55.
登山の携帯食として「即席カレー」が
人気を呼び、1968年には大塚食品が
世界初のレトルトカレーを発売

56.
関連企業の大塚製品が扱っていた
点滴液の加圧加熱の殺菌技術を
応用することで他社に先駆けて成功

57.
この「ボンカレー」は
当初阪神地区限定で発売されたが、
半透明パウチを使用したため
賞味期限が短かった


58.
その後、アルミ箔を使用することで
賞味期限を大幅にのばした
新型パウチを開発し、
1969年全国発売を開始

59.
国民食となったカレーは
他製品にも展開し、同年、
明治製菓は日本初のスナック
「カール」にカレー味を採用

60.
1971年に日清食品が生んだ
世界初のカップ麺
「カップヌードル」にも、
73年にはカレー味が追加された

61.
1982年学校給食の全国統一献立の
初メニューにカレーライスが選ばれ
1月22日を「カレー給食の日」に制定

62.
1990年代に入ると国内では
タイ料理レストランがブームとなり
ココナッツ風味の
「タイカレー」が人気に


63.
1992年NASAの宇宙飛行士・毛利衛は
史上初めて宇宙食にレトルトカレーを
持参。その後メニューとなる

64.
1990年代後半になると
町おこしを目的に、日本各地の
特産物を利用した
「ご当地カレー」が続々登場する

65.
北海道「札幌スープカレー」は
1971年に札幌市の喫茶店アジャンタで
生まれた薬膳カリィがオリジナル

66.
1993年マジックスパイスは
それにインドネシア料理の
エッセンスを加え「スープカレー」と
命名して販売

67.
2002年には札幌周辺をはじめ
200店以上ものスープカレー店が
乱立し、全国的なブームとなる

68.
濃厚なルゥとキャベツの付け合せ、
ステンレス皿と先割れスプーンの
金沢カレーは金沢市内を中心に
発展したもので30年以上もの歴史がある


69.
ドロッとした黒っぽい濃厚なルゥと、
キャベツの付け合せ、
ステンレス皿と先割れスプーンの
使用が特徴

70.
福岡「焼きカレー」は米飯の上に
カレーソースとチーズ等をのせ
オーブンで焼いたカレーライスの一種

71.
1950年代に北九州市の
門司港近くにあった「山田屋」という
和食店が元祖といわれ、
当時は土鍋に入っていた

72.
門司港周辺では現在も30軒以上の店で
焼きカレーが提供され、
名物料理となっている

73.
2001年「横濱カレーミュージアム」が
開館。同館に出店した各地の店が
注目され「専門店ブーム」が起きる

74.
一方、市販カレー粉ではなく
独自にブレンドしたスパイスと
だし汁と融合させた
「カレーうどん店」も登場

75.
東京「古奈屋」、名古屋「若鯱屋」、
香川「五右衛門」など各地で専門店が
生まれカレーうどんが人気を呼ぶ

76.
横浜ではご当地カレープロジェクトを
きっかけにフランス料理の技術を
いかした「フレンチカレー」が誕生

77.
兵庫の居酒屋「伝信房」の人気を
きっかけに、2007年には
各食品メーカーが「カレー鍋」用の
鍋つゆを発売

78.
カフェめしを背景に
インド風キーマカレーに
オリジナリティを加えた
「個性派キーマカレー」も話題となる


79.
2011年には子どもから高齢者まで
幅広い世代に好まれるマイルド味の
「バターチキンカレー」が流行

80.
一方で従来の子ども向け商品ではない
「大人用甘口カレー」が
トレンドになり、炒めカレーにも
注目が集まる

81.
日本式カレーは多様な広がりを
見せているが「日本一のカレー激戦区」と
呼ばれるのが東京・神田神保町


82.
神保町は幕府の膝元として
江戸時代から発展。
明治以降は明治大学、
日本大学等の前身となる学校が続々創立

83.
学生街になるにつれ書店数も増え、
飲食店も開店するが、
1923年に起きた関東大震災で
多大な被害を受ける

84.
しかし翌24年には「共栄堂」が
当時珍しい「スマトラカレー」を
売り物に洋食店として開業

85.
初代店主が友人から
スマトラ島のカレー調理法を
教わったのをきっかけに
日本人の口に合うようアレンジ

86.
また同年、神田須田町では
「須田町食堂」(現・聚楽)が創業し、
メニューのなかにカレーを掲げた

87.
学生街でカレーが愛されたのは、
本を読みながらスプーン1本で
食べることができる
手軽さだったといわれる

88.
現在、神保町には60軒以上もの
カレー店があるとされるが、
共栄堂に次ぐ老舗が1973年開店の
「ボンディ」


89.
創業者・村田紘一は米飯に合う
ルゥを追求し、ドミグラスソースを
中心にした「欧風カレー」を考案

90.
ボンディの欧風カレーは
当時の料理界を席巻したが、
その味は現在も進化を続け
人気店となっている

91.
1981年にカレー屋兼とんかつ店として
開業した「まんてん」は
〈安くてうまい店〉の代名詞だ

92.
店名は
〈学生がテストで満点をとれるように〉
との思いから名付けられたもので、
人気メニューはかつカレー

93.
1988年にカレーとコーヒーの
専門店としてオープンした
「エチオピア」は創業当時からの
看板が目印

94.
看板には「インド風カリーライス」の
文字があるが、スパイスを吟味した
カレーの味、香りにファンが多い

95.
神田神保町では2011年から
「神田カレーグランプリ」を毎年開催。
初年度は「ボンディ」が大賞に輝く

96.
2012年は大量のトマトを使用した
「バターマサラ」で人気の
「インドレストラン マンダラ」が受賞

97.
2013年には古きよき昭和風カレーの
「日乃屋カレー」、2014年は
「100時間カレーB&R」が優勝

98.
2013年「カレーハウスCoCo壱番屋」は
〈世界で最も大きいカレーチェーン店〉
としてギネス認定された


99.
ラーメン店と異なり、
大量のスパイス購入が至難なことから
カレーチェーン店は存続が
難しいとされてきた

100.
そのなかにあって愛知の壱番屋は
ハウス食品と提携。国内外で
1300店舗以上を展開し、
現在も拡大中である

(モノ・マガジン
2015年11月2日号より
転載しました)

かなり長くなりましたが……😅

【カレーのうんちく100選】
でした……😂

なんか……
文面を読んでるだけで、
カレーが無性に
食べたくなったりして??🍛😅

以前、
初老のオッサンが
自宅でレトルトカレーで作った
「カレーライス」の3作品😂
↓↓↓

親子パンダカレーライス

ぼのぼのカレーライス

スヌーピーカレーライス

僕も……
スゲー食べたくなりました😍

華麗に……😅
加齢臭を漂わせながら……😂


今日はカレーでも
食べに行こうかな??🍛

素敵な一日をお過ごしください🎵