【あの和菓子「大福」の誕生秘話✨】


今日2月9日「2(ふ)・9(く)」の
語呂合わせから『大福の日』🎵

小豆餡が詰まっていて
薄餅皮で包んだあの和菓子☺

僕は酒呑みだけど
和洋関係なく甘い物も大好き✨

『大福餅』も、
もちろん大好き😍

餅皮を薄く、
餡を包んだもので丸くて、
ふっくらしている様子が
鳥の「鶉(うずら)」に
似ているので……


「鶉(うずら)餅」とも
呼ばれました……

また
「鶉(うずら)」の
お腹がふくれていること、
食べるとお腹がふくれるので……

「腹太(はらぶと)餅」
とも呼ばれました……

のちに、
「腹太(はらぶと)餅」から、
「大腹(だいふく)餅」となり……

同じ、
「大腹(だいふく)」なら
「大福(だいふく)」の方が
縁起がよいということで
『大福餅』になりました☝

1780(元禄)年頃は
夜に『大福餅』を
売り歩くことが流行……

人々は
冬の寒い夜などは
それを鍋で焼いて
食べましたそうです……

そんな古くから
江戸の庶民に
愛された『大福餅』…… 

現在は
飽食の時代にあって、
高級和菓子が売れる
ご時世ではありますが……

庶民のおやつとして
さらにひっそり、
目立たぬように
店頭の片隅に
置かれていたりします😅

やはり……

最近は召し上がる人も
少なくなっているよう😅

『大福餅』の歴史は古く……

1769(明和6)年に
江戸は小石川御箪笥町に住む
「おたよ」という女性が
考案したそうです……

この女性の名前が
「おたよ」ではなく、
「おたま」だったという
説もありますが……

まあ、
「おたよ」という事で
強引にお話しを進めます……😅

職人である夫に
若くして死なれ……

幼い子供を4人も抱えて
未亡人となってしまった
「おたよ」……

途方に暮れて、
泣いてばかりはいられない……

子供を育てあげ、
また自分も
生きていかねばなりません……

そこで彼女は
狭い長屋の台所で餅をつき……

小豆餡(あずきあん)を詰めた
餅菓子製造を始めたのです……

この当時に
江戸庶民のおやつとして
人気があったのが……

1704(元禄14)年
両国広小路にある
餅屋「小松屋」……


小松屋喜兵衛が売り出した
「幾代(いくよ)餅」でした……


つきたてのお餅を
小豆餡(あずきあん)で
包んだ団子菓子で、
安くて美味いと評判でした……

この
「幾代餅」という名前は、
「小松屋」の女房が、
吉原の遊女の時に
「幾代(いくよ)」という
源氏名であったことから
つけられた名前なんです……


「幾代餅」という落語も
あるくらい庶民に
人気の団子の和菓子でした……

さて……

お話を「おたよ」の
話に戻します……😅

「おたよ」は、
餅を餡で包んだ
「幾代餅」を見て、
まさしく「逆転の発想」で、
餅の中に餡を詰めることを
思いついたのです……💡

「幾代(いくよ)餅」が
売れているからといって、
模倣品を作らなかったことが
スゴいですよね……👍

「おたよ」には、
たとえ貧乏しても、
真似をして、同じ商品は
作らないという気持ちが
強くがあったのでしょうね……

「おたよ」は
この菓子を
「お多福(おたふく)餅」と命名し……

子供を連れながら
街中を売り歩いたそうです……

自分の名前が
「おたよ」なので、
この商品名を
連想したのかも??

また
「一口食べれば、
多くの福が来る」
という縁起に
引っ掛けたのかも??

「おたよ」が
この商品名にも
こだわりと知恵を
絞ったことがよくわかります……

しかしながら……

「お多福餅」は
あまり売れなかった……😢

この当時は、
「砂糖」が輸入品で
高価であるために、
「小豆餡」には
「砂糖」ではなくて、
「塩」を使っていました……

先述のヒット商品
「幾代餅」も「塩」を使った
「小豆餡」でした……

当時は
「砂糖餡」は高級な
和菓子だけに使われていて、
値段が高くて庶民には
買えなかったのです……😥

普通ならば……

女手ひとつ
4人の幼子連れて
ここで挫けてしまうところ……😢

だが……
「おたよ」は挫けなかった……✴

プロジェクトXのテーマ
「風の中の~♪スバル~♪」と
中島みゆき「地上の星」が
流れてきそうな感じですが……😂

「おたよ」は
砂糖問屋に行き、
店先で土下座して、
代金は後払いで「砂糖」を
売ってくれるように哀願した……

砂糖店の主人が
「おたよ」の後ろで、
地べたに正座し、
母親と同じように
土下座している
子供たちの姿に感動して……

一升ばかりの
「砂糖」を譲ってやった……

「おたよ」は、
今度は「塩餡」ではなくて
「砂糖餡」を詰めて、
「腹太(はらぶと)餅」と命名して、
売り歩きました……

「食べれば、
お腹が一杯になる」
という心でのネーミング……

団子菓子の
「幾代餅」よりも大きく、
しかも値段を安くした……

薄利多売を狙いました……
  
これがメッチャ
売れました……😍

砂糖の甘さなど、
一年に一回も味わえない
江戸の貧民に滅茶苦茶に
ウケけたのです……

砂糖の甘みは
満腹感を与えますから、
腹太(はらぶと)になるのも
嘘ではない……

評判が評判を読んで、
「腹太餅」は
ヒット商品になりました……
  
その後……
彼女は行商から
お店を構えて店売りに……

「腹太餅」を店頭で焼いて、
商品名を「大腹餅」に変え……

そして、
これを『大福餅』と命名……

餅菓子は
数日置けば
固くなってしまいます……

売れ残った「腹太餅」を
「焼餅」にして売るのを
思いついたのも
「おたよ」の発想がスゴい……👀


なかなか知恵がある
女性だとは思いませんか??✴

子供を抱えた女性は強い……

逆境に立たされ、
崖っぷちに追い込まれると、
知恵が湧くのかもしれません……

「おたよ」が考案した
「腹太餅」からの
「大腹餅」からの
『大福餅』は全国に広まりました……

  そんな小石川が
  発祥とされる『大福』

  和菓子屋「千代田」さんが
  江戸時代の
『おたよの大福』として
  復刻してるらしい




しかし、
江戸時代の当時は
特許権はもちろん、
商標権もありませんから、
模倣業者がワッと出たのです……

現代であれば、
特許権や商標権で、
「おたよ」は大金持ちに
なったのでしょうね……😅
 
たかが
『大福餅』だけでも
こんな誕生秘話があるんですね……

僕たちが
なにげなく使っている道具や、
食べている食べ物……

その一つひとつに
考案者の工夫の努力が
込められているのです……

僕たちが現在、
享受している
便利さや快適さは……

全て先人たちの
汗と努力の結晶なんですよね……

感謝しないとね😍

素敵な一日をお過ごしください✨