【昔……甲子園球場と言ったら……⚾】
74年前の1947年の
今日5月26日は
「阪神甲子園球場」の
外野フェンス前に
「ラッキーゾーン」が設置された
『ラッキーゾーンの日』⚾☝
現在は撤去されてますが
「ラッキーゾーン」が
存在したことで、
野球界に様々なドラマが
生まれました😉
今日はそんな
『ラッキーゾーン』の歴史を
掘り下げてみました☺
「ラッキーゾーン」とは、
ホームランが出やすくなるように、
外野フェンスのフィールド内側に
設けられた柵などで囲まれた場所……
フィールドの
外側として扱われるため、
この場所に入った場合でも
ホームランとなります☝
このラッキーゾーンが
日本で初めて
「阪神甲子園球場」に
作られました👌
【ラッキーゾーンがつくられた理由】
1924年にオープンした
甲子園大運動場……
現在の阪神甲子園球場は、
陸上競技場としても
利用されることを
念頭に置いて建設されました……
それゆえに……
両翼まで約110m、
左・右中間は128mもあり、
ホームランが出にくい球場と
言われておりました……😅
1932年、
日本選抜VSメジャーリーグ選抜の
試合が行なわれたときに、
甲子園球場を訪れた
かの「ベーブ・ルース」は……
「Oh!! No!!😱
この球場はBIGすぎマス!!」と
言ったほど‥‥😅
(そんな風には言わんか??😅)
その後、
やはりホームランが
野球の見せ場であり、華であると、
注目されるようになり……
甲子園球場でもホームランが
出やすくしようという声が
上がり始めました‥‥
そして、
74年前の1947年
今日5月26日……
外野の両翼から
左・右中間付近に
金網の柵を設置することで、
甲子園球場の両翼は91mに
縮小されました……
今までは
外野フライだった打球でも、
フェンスを越えれば
ホームランになることから、
『ラッキーゾーン』と
名付けられたわけです😉
甲子園球場以外にも、
当時のプロ野球の規定に
合わせる形で、
神宮球場や西京極球場、
西宮球場などにも
「ラッキーゾーン」が
設置されました……
【ラッキーゾーンで生まれたドラマ】
甲子園球場に設置された
「ラッキーゾーン」は、
形を変えながら、
今から30年前の
1991年まで存続しました‥‥
「ラッキーゾーン」によって、
高校野球でもホームランが
生まれやすくなり、
多くのドラマが生まれました……
当時、
「KKコンビ」と呼ばれ
注目を集め、
甲子園のスターとなった
PL学園の「桑田真澄」と……
薬物の件でも注目された‥‥😅
「清原和博」は、
1985年の
全国高等学校野球選手権大会で
2度目の優勝を果たします……⚾
その大会の
準々決勝の高知商戦で、
2人はなんと!!
アベックホームランを
放つのですが‥‥…
このときの
「桑田真澄」のホームランは、
「ラッキーゾーン」で
生まれたものでした……
一方で、
「ラッキーゾーン」が撤去された後、
甲子園で初めて
ホームランを打った選手は、
読売ジャイアンツや
ニューヨーク・ヤンキースなどで
活躍したゴジラこと
「松井秀喜」なんですよ⚾
1992年の
選抜高校野球大会の
開幕戦に登場した、
星稜高校の「松井秀喜」は、
その試合で2本の豪快な本塁打を放ち、
観客を湧かせました!!
【役割を終えたラッキーゾーン】
選手の体格が向上し、
バットやボールなどの道具の品質も
良くなったことから、
打球の飛距離が伸びてきました‥‥…
さらに野球の国際大会が
開催されるようになると、
球場の大きさは国際競技規格に
合わせたものになっていきます……
それに伴って、
「ラッキーゾーン」は役割を終え、
各球場で撤去されていきました‥‥…
僕も母校「國學院久我山高校」が
甲子園に春夏連続で出場した際、
2回ほど甲子園球場へ応援に……📣
その頃はまだ甲子園球場に
「ラッキーゾーン」はありました……
そう言えば……
甲子園球場の
「ラッキーゾーン」の中には
控え投手のプルペンがあって、
観客席から控え投手の
投球練習が丸見えでしたよね⚾😍
そして……
そのラッキーゾーンの
ブルペンからなんと昔は……😅
スクーター二人乗りで
リリーフピッチャーが
登場なんてのも
甲子園球場の名物でした☝☺
ということで……
今日は現在
大物ルーキー登場もあり、
ペナントレース好調の
阪神タイガースの
本拠地である甲子園の
あれこれのお話でした☺
素敵な一日をお過ごしください✨