【日本のソウルフードのルーツのお話✨】


今日5月7日は
「5(こ)7(な)」の語呂合わせで
『こなもんの日』🎶

「コナモン」??😅
どっかの
「ゆるキャラ」の名前??😅

いや、
「お好み焼き」
「たこ焼き」などの
『粉もん(こなもん)』のことです☝

そんな今日は
『こなもんの日』にちなんで……

日本のソウルフードの代表格
『お好み焼き』を掘り下げてみました👍


ただ……
結構、食通な僕なのですが……😅
(自画自賛😂)

『お好み焼き』に関しては……
どの店の、どの種類、
どんなメニューを食べても、
同じオタフク的なソースと
マヨネーズの味しかしない……😰

大阪、広島方面のお友達、
申し訳ありませんのですが……😅

『お好み焼き』って食べ物は
実は、どーも僕は正直苦手でして‥‥😂

実は語るほど
食べたことないんです……😱

まあこの際、
好きになるためにも
『お好み焼き』を掘り下げてみました👍

皆さんご存じの
『お好み焼き』の世界には
ふたつの派閥があります……😅

「広島風お好み焼き派」


「大阪風お好み焼き派」


まあ……
僕的にはどちらも
どーでも良いのですが……😂

ただ万物、
それなりのルーツはありますし……

では「広島風」と「大阪風」、
実のところ、どう違うのか……??

『お好み焼き』を
よく食べる方にとっては
当たり前かもしれませんが……

意外と一般人に
知られていないのが
それぞれの違いなんです……

中華そばが入っていれば
広島風なんでしょ??
と思っている方も
多いかもしれませんが……

それは違いました‥‥‥😅

大阪風でも、
中華そばを入れれば……
「モダン焼き」として
成立してしまうので、
本質的な違いではありません……

2つの違いは、
その作り方☝

「大阪風」は‥‥‥
生地と具材を一緒くたに
混ぜこんでから
おたまですくって
平らに焼きます……


一方「広島風」は‥‥‥
まず生地をクレープ状に
鉄板に薄く伸ばし……
その上にキャベツをドサっと置いて……

さらにその上に豚肉をかぶせ、
いったんひっくり返し……

その脇で蕎麦と卵を焼き、
お好み焼きをその上に乗せて、
もう一度ひっくり返して出来上がり……

生地でつながった素材が
均一な大阪風に対し、
広島風は層状なのです👍


お好み焼きの
起源については実は確固たる
証明がされているわけではありませんが……

いわゆる
「壱銭洋食(いっせんようしょく)」
の発展形という説が有力です……

単純に小麦粉を
焼いただけのものなら
江戸時代にも
既に食べられていましたが……

昭和初期、
西日本の駄菓子屋で
子供たちの間で流行った
「壱銭洋食」というおやつは、
かなり現在の『お好み焼き』に
近いものでした

今は京都の名物になってますが……

全く関係ないお話ですが‥‥…😅

スゲー昔に大学時代に
僕がお付き合いしていた
彼女のバイト先が
新宿3丁目の伊勢丹の向かいにあった
「壱銭洋食」と言う店名の
お好み焼き屋だったけなぁ~😍

すいません……
それはさておき‥‥‥😅

小麦粉を薄く焼いて、
ねぎ、粉カツオ、
とろろ昆布などを
ちょちょっと乗せて……

ソースをかけて半月状に折って
食べるたのが「壱銭洋食」🎶


しかしそれは、
その名の通り、あくまで安い
子供向けのおやつ……

大人が喜んで
手を伸ばすような
代物ではありませんでした……

ところが戦争が終わり、
物資が乏しく、
特に深刻な米不足に
悩まれた日本では……

俄然、
小麦粉に注目が集まるように‥‥‥

小麦粉を
「メリケン粉」とも称する通り……

アメリカン、
アメリケン、メリケンね!👍

敗戦後の
日本の食糧難の時に
アメリカ軍が多くの
小麦粉を提供したのです……

ここに、
大阪でも広島でも、
お好み焼き文化は
花開くこととなりました……

特に「原爆」の被害で
食糧不足が著しかった広島では、
このメリケン粉が
非常に重宝されました……


広島の大阪と比べて
小麦粉の使用量が少なくて済む
『お好み焼き』が根付いたのは、
そこに理由がありました……

また広島では、
「観音ねぎ」という
九条ねぎの一種が作られており……

始めはそれを入れて食べていましたが……

次第に、
もっと安くてボリュームのある
キャベツを大量に入れるようになります……
(小麦粉の少なさを補うため)

さらに、
復興が進むにつれ、
大人の腹も充分満たせるよう
中華そばやうどんも加えた
「広島風」の形が
出来上がっていったそうです……

ちなみに、
広島にいらした方は
覚えがあるかもしれませんが‥‥‥

広島のお好み焼き屋さんには、
「みっちゃん」「れいちゃん」という
女性のニックネームのような
店名が少なくありません……


それは、
戦争で旦那さんを亡くし……
寡婦となってしまった女性が……


焼け野原で
女手ひとつで生きていくために
出したお店が多いからなのです………

正直なところ……
「広島風」も「大阪風」も
昭和初期に子どもたちの間で
流行した「壱銭洋食」が発展したもの……

もちろん、
原爆投下で文字通り
壊滅した広島において、
「小麦粉の使用量を減らしながらも
お腹がいっぱいになる」
今の広島風お好み焼きの
スタイルが定着したわけですが、
ルーツは大阪風と同じ……

では、
その「壱銭洋食」発祥の地は
どこなのでしょうか??

それを探るためには、
「壱銭洋食」が流行する
さらに前の時代に遡る必要が‥‥‥😅

まさにルーツの
ルーツのルーツのお話……

そもそも小麦自体は、
日本では弥生時代から
食されていた伝統的な食材……

ただ、
この頃は粉にするという発想は
まだなかったようです……

しかし奈良時代には、
「留学生・吉備真備」が、
唐で学んだ料理を日本に持ち帰ります……


彼は小麦を粉にして、
水で溶き、薄く伸ばして焼く、
「煎餅(せんびん)」を作りました……


そして安土桃山時代、
豊臣秀吉に仕えた
「茶人・千利休」がお茶菓子として、
「麩焼き」という和菓子を作らせました……


これは、
小麦粉を水で溶いて薄く焼き、
味噌や砂糖を塗ってから
くるくる巻いたもの……

吉備真備の「煎餅」の発展形……

これが江戸以降も受け継がれ、
明治には新たな展開を‥‥‥

西洋文化の流入激しい東京、
下町の駄菓子屋で人気を博した‥‥‥‥


そう「もんじゃ焼き」👍

路地裏のお店で、
家には無いような
大きな鉄板を使って……

友達と一緒に焼く
というスタイルが、
子どもたちにウケました………

「もんじゃ焼き」の名前の由来は、
子供がその鉄板に生地で
文字を書いて遊びながら食べていたこと……

「もじ→もんじ→もんじゃ」
と変化したそうです……

ただ、
トロトロの「もんじゃ焼き」は
お店で鉄板に向かわなければ
食べられません……

同じ小麦粉料理で、
テイクアウトや
移動販売ができないか??

そこで、
もっと水分を少なくし、
生地を固くした「どんどん焼き」が
考案されました……


「どんどん焼き」は
人口の密集した東京では
あまり広まりませんでしたが……

むしろ地方に広がり、
大いに受け入れられました‥‥…

そしてこれが、
関西で「壱銭洋食」と呼ばれ
親しまれたのです……

しかも、
その流行の中心地は、
意外にも京都でした……

ただ次第に大阪、
広島でも流行して、
太平洋戦争を経て今に至りました‥‥‥

「煎餅」「麩焼き」
「もんじゃ焼き」「どんどん焼き」
「壱銭洋食」そして……
『お好み焼き』へ‥‥‥

身近な日本ソウルフード
『お好み焼き』にも、
長くて深い歴史があるもんです‥‥…😍

今日は僕が苦手な
「お好み焼き」の深イイお話でした💕

まあ苦手と言わず……
今度機会があって……
美味しいお好み焼き屋さんがあれば
食べに行ってみようかな??😅

とりあえず……
今年の
「ステイホーム週間」という名前の
ゴールデンウィークが終わったものの……

同時に終わる予定であった
緊急事態宣言は延長となりました……

医療従事されてる方々は、
日々命懸けで仕事をされてる
それを応援するのは
僕らがこの緊急事態宣言期間を
しっかりと自粛すること……

頑張らないとね💪

素敵な自粛の一日をお過ごしください✨