村上春樹の『羊をめぐる冒険』のすばらしさをBirnbaum による英語翻訳版A Wild Sheep Chaseを用いて逆方向から証明してみる

 

 

〈たぶん〉物語のあらすじ≫ 自信のない小さな声です。

背中に星の班点のある羊は、日本を政治を制御する邪悪の象徴 ただ、この羊は人間を宿主として、しかも生きた人間と一体となっていなければ生きていられない。今、宿主である闇社会に君臨する「先生」は死の淵にありまもなく・・・・死ぬ。 この一連の経過・事情に巻き込まれている主人公の友人「鼠」。 彼、鼠の中に、その羊が「観念として」入り込んでしまった。

 

 鼠は自分に執りついている羊を殺すために、羊もろとも観念としての爆死 を実行しようとしている。 主人公は、その「背中に班点のある羊」を捜すために札幌市北区?にある「いるかホテル」を拠点として、友人の鼠が所有する別荘(山小屋)に向かう・・・・

 

※:ポリティカルの世界で、現在も伝統芸のように脈々と受け継がれている慣行・性向とは、おそらく、何の関係もない・・・・お話だと信じたい。

 

【緒言】

いくら日本語に精通している英国(米国)人とはいえ、日本人の書く文章に含まれる機微を察知できる人は稀だと思う。まして、文章を書くのが職業といわれる方の、心の中心から出てきたと思われる語句を加不足なく英語の文章に翻訳することはほぼ100%不可能だと、わたしは考えます。

   ここでは、日本の批評家達に、悪口の典型として、「まるで英文和訳のような文章・文体」と批判の典型として―――現在でも―――言われ続けている村上の小説を遡上にあげ、翻訳英語を日本語に逆翻訳してみる。 わたしが、ここで証明したいことは、ただ一つ、村上が紡ぐ文章がいかに優れているか、ということです。

批評家の、英文翻訳的文章≒稚拙な文章、というステレオタイプの思いこみがいかにヘンテコな批評であるか、証明してみたいと思う。

 

この小説において、第一章は非常に短く、作者と読者、両者の肩慣らし、といったとこで、実質的な物語の始まりは第二章です。

 

この章は、私の推測では、たぶん小さな推敲を何度も、嫌になるくらいに重ねたと思われる章です。この章は、まさに、ねりにねった素敵な文章の連続です。

 

この論文??では、第二章に焦点を絞り最初の数パラグラフですが、どの様に英文翻訳されているのかを詳細に調べることにより、村上の原文(日本語)の素晴らしさを呈示する(つもりです)。

 

 

【方法】

英語翻訳文と村上の日本語原文とを比較するとき―――全ての記述は不可能なので―――小説全体から興味深いセンテンスを複数個選び出すやり方と、特定の、連続したパラグラフを基盤にする方法がある。ここでは、後者、複数の連続した文章(パラグラフ)を用いた。加えて、文章は物語の本筋ではなく、物語に膨らみを与える記述です。少し乱暴な言い方をするなら、小説としては、存在しなくても別段致命傷とはならない、ということです。

ただ、小説を丁寧に読んだ方ならすぐに気がつくのですが、(科学系の学術論文とは、130度?くらい違って)小説ではこの、物語に直截的に関係のない文章にこそ、小説家の多大な精力が注がれている。ここでは、私は第二章の書き出しに焦点を当てた。何故? 少し読んでいただければ、私の気持ちが解かって頂けると信じます。

 

なお、Birnbaum による翻訳英語原文の、いくつかの英単語・語句に日本語訳を付与した。

 

 

 【結果】

Ⅰ:≪Birnbaum による翻訳英語原文≫

Page 13 , line 1

 

Chapter 2

[Sixteen Step] :

 

I waited for the compressed-air hiss(シューッという音) of the elevator(参考:アクセント・発音注意) doors shutting behind me before closing my eyes. Then, gathering up the pieces of my mind, I started off on the sixteen steps down the hall (廊下、玄関)to my apartment door. Eyes closed, exactly sixteen steps. No more, no less. My head blank(からっぽの、白紙の) from the whisky, my mouth reeking(不快なにおいをだす) from cigarettes.

   Drunk as I get, I can walk those sixteen steps straight as a ruled line(罫線、定規で引く線). The fruit(果物、成果) of many years pointless(無意味なな、無益な) self-discipline(自己訓練、修行). Whenever drunk, I’d throw back(うしろへ曲げて) my shoulders, straighten my spine(脊柱), hold my head up, and draw(引き絞る) a deep lungful of the cool morning air in the concrete hallway(玄関、廊下). Then I’d close my eyes and walk sixteen steps straight through the whiskey fog.

   Within the bounds(閉ざされた) of that sixteen-steps world, I bear(身に付いている、ついている) the title(肩書き、敬称) of “Most Courteous(誠実な、礼儀正しい) of Drunks.”  A simple achievement(達成、業績). One has only to accept the fact of being drunk at face value(額面).

 

 

[私の対訳]

第二章 

≪十六歩≫

わたしは、自分の後ろで、エレヴェターの扉が閉まる時の「シューッ」 という圧縮空気音を聞いてから目を閉じた。そして、意識の切れ端を拾い集め、自分のアパートのドアに向かって、廊下での十六歩の歩みを開始した。それ以上でも、以下でもない。 私の頭はウィスキーのせいで空っぽで、口の中は煙草の吸い過ぎで嫌な臭いがした。

  どんなに飲んでいても、わたしは定規で引いた線のように、真直ぐに十六歩を正確に歩くことができる。長年の意味のない自己訓練の賜物だ。酔払うたびに肩を後ろに引き、背筋(せすじ)をしゃんと伸ばし、顔を上げ、朝の空気とコンクリートの廊下の匂いを思いきり肺に吸い込む。そして目を閉じ、ウィスキーの霧の中をまっすぐ十六歩歩く。

  その十六歩世界において、わたしは「最も礼儀正しい酔払い」という称号を与えられている。簡単にできること。自分が酔払っているという事実を額面通り受容すれば良い、それだけのことだ。

 

 

[村上の原文]

第二章:ページ 25、1行目

≪その1:十六歩歩くことについて≫

 エレベーターのドアが閉まるシュウッというコンプレッサー音を背中に確かめてから、おもむろに目を閉じる。そして意識の断片をかきあつめ、アパートの廊下をドアに向かって十六歩歩いた。それ以上でもそれ以下でもない。ウィスキーのおかげで頭はすりきれたネジみたいにぼんやりとして、口の中は煙草のタールの匂いでいっぱいだった。

  それでも、どんなに酔っぱらっていても、目を閉じたままものさしで線を引いたみたいにまっすぐ十六歩歩くことができる。長年にわたる意味のない自己訓練の賜物だ。酔払うたびに背筋をしゃんと伸ばし、顔を上げ、朝の空気とコンクリートの廊下の匂いを思いきり肺に吸い込む。そして目を閉じ、ウィスキーの霧の中をまっすぐ十六歩歩く。

  その十六歩的世界にあっては、僕は「最も礼儀正しい酔払い」という称号を与えられている。簡単なことだ。酔払ったという事実を事実として受容すればいいのだ。

 

 

Ⅱ:≪Birnbaum による翻訳英語原文≫

Page 13 , line 5 from the bottom

 

   No ifs, and no buts.  Only the statement “I am drank,” plain(平易な) and simple.

   That’s all it takes for me to become the Most Courteous Drunk. The Earliest to Rise(上がること、), the Last Boxcar over the Bridge(鉄道の上を走る最終天蓋車両).

 

   Five, six, seven・・・・・

 

   Stopping on the eight step, I opened my eyes and took a deep breath.  A slight humming in my ears. Like a sea breeze(微風、そよ風) whistling through a rusty wire screen(鉄条網). Come to think of it, when was the last time I was at the beach?

   Let’s see.  July 24, 6:30 A.M.  Ideal(理想的な)time of year for the beach(海辺), ideal time of day.  The beach still unspoiled(そこなわれていない) by people.  Seabird tracks scattered about the surf’s(寄せる波の)edge(へり) like pine needles(松葉;参考、pine island:松島) after a brisk(活発な)wind.

   The beach, hum・・・・

   I began walking again.  Forget the beach. All that’s ages past.

 

 

[私の対訳]

 「もしも」も「けれども」もない。単なる宣言、「俺は酔払った」ということ、平易で単純だ。

  それだけのこと、そのようにして わたしは最も礼儀正しい酔払いになる。最も早く起床し、そして、鉄橋の上を走る、最終の天蓋列車だ。

 

5・6・7・・・・・

 

  八歩目で立ちどまり、目を開け、深呼吸をする。軽い耳なりがした。錆びた鉄条網を通り抜けてくる海の風のような音だった。そういえば、最後に海に来たのはいつのことだったろう、という思いがした。

  そう、七月二十四日、午前六時三十分。海辺に行くには理想的な季節で、理想的な時刻だ。 岸辺の砂はまだ人によって損なわれてはいない。海鳥の足跡が、強い風が描いた、寄せ波のへりの松葉模様のように散らばっていた。

  海辺か・・・・。

  わたしは再び歩きはじめた。海辺のことはもう忘れよう。あの時は、すべて過ぎ去ってしまったのだ。

 

 

[村上の原文]

ページ 25、後ろから3行目

  「しかし」も「けれども」も「ただし」も「それでも」も何もない。ただ単に僕は酔払ったのだ。

  そのようにして僕は最も礼儀正しい酔払いになる。いちばん早起きをするむくどりになり、いちばん最後に鉄橋を渡る有蓋貨車になる。

 

5・6・7・・・・・

 

  八歩めで立ちどまって目を開け、深呼吸をする。軽い耳なりがした。錆びた鉄条網のあいだを抜けていく海の風のような耳なりだった。そういえばしばらく海を見ていないな。

  七月二十四日、午前六時三十分。海を見るには理想的な季節で、理想的な時刻だ。砂浜はまだ誰にも汚されてはいない。波打ち際には海鳥の足あとが、風にふるい落とされた針葉のようにちらばっている。

  海、か。

  僕は再び歩きはじめる。海のことはもう忘れよう。そんなものはとっくの昔に消えてしまったのだ。

 

 

Ⅲ:≪Birnbaum による翻訳英語原文≫

Page 14, line 12

 

   On the sixteenth step, I halted(立ち止まる), opened my eyes, and found myself planted square(かっきりと、きちんとした) in front of my doorknob, as always.  Taking two day’s worth of newspapers and two envelops from the mailbox, I tucked(はさむ) the lot under my arm.  Then  I finished my keys out of the recesses(奥まったところ) of my pocket and leaned(かがむ)forward, forehead against the icy iron door.  From somewhere behind my ears, a click. Me, a wad of cotton(含み綿) soaked(吸収する) through with alcohol.  With only a modicum(ある程度)of control of my senses(意識).

   Just great.

   The door maybe one-third open, I slide my body in, shutting the door behind me. The entryway was dead silent. More silent than it ought to(ねばならない、するべき、あるべき) be.

   That’s when I noticed the red pumps(婦人用の靴) at my feet. Red pumps I’ve seen before. Parked in between my mud-caked(泥だらけ) tennis shoes and a pair of cheap beach sandals, like some out-of-season(季節外れの) Christmas present. A silent hovered(漂う) about them, fine as dust(ちり、ごみ).

 

[私の対訳]

  十六歩で立ち止まり、わたしは目をあける、そして自分がいつものように正確にドアノブの前にいることを確認した。郵便受けから二日ぶんの新聞と二通の封書を取り出し、それらを自分の腕にはさんだ。 ポケットの奥まったところからからキーをとり出し、前方にかがみ、額を冷たい鉄のドアにつけた。耳の後ろ側の方で、カチッという音。俺?, アルコールをたっぷり吸いこんだ綿のようだ。 ある程度まともなのは意識だけだ。

  やれやれ。

  ドアを1/3ばかり開けてそこに体をすべりこませ、ドアを閉めた。玄関は死んだように静かだった。必要以上にシーンとしていた。

  それから わたしは足もとの赤いパンプスに気づいた。 前にも見たことのある赤いパンプスだった。それは泥だらけのテニス・シューズと安物のビーチ・サンダルの間に挟まれて、季節はずれのクリスマス・プレゼントみたいに見えた。沈黙が、細かいちりのようにそこに漂っていた。

 

 

[村上の原文]

ページ 26、後ろから9行目

十六歩めで立ち止まって目をあけると、僕はいつものように正確にドアのノブの前にいた。郵便受けから二日ぶんの新聞と二通の封書を取り出し、小脇にはさむ。そして迷路のようなポケットからキー・ホルダーをとり出し、それを手に持ったまま冷やりとした鉄のドアに額をつけた。耳の後ろ側でかちんという小さな音がしたような気がした。体が綿のようにアルコールを吸いこんでいるのだ。比較的まともなのは意識だけだ。

  やれやれ。

  ドアを1/3ばかり開けてそこに体をすべりこませ、ドアを閉める。玄関はしんとしていた。

  それから僕は足もとの赤いパンプスの存在に気づいた。見慣れた赤いパンプスだった。それは泥だらけのテニス・シューズと安物のビーチ・サンダルにはさまれて、季節はずれのクリスマス・プレゼントみたいに見えた。その上に細かいちりのような沈黙が浮かんでいた。

 

 

【結論的考察】

村上は、自身最初に書いた二つの作品『風の歌を聴け』、と『1987年のピンボール』を習作と認識している。したがって『羊をめぐる冒険』は、正真正銘の彼の処女小説ということになる。

  Birnbaum の英語翻訳版の日本語ではあるが、村上の原文と比較すると私の日本語への変換の拙さを差し引いても、村上の原文の凄さが容易に理解できる。

 加えて、Birnbaum の英語翻訳は村上の原作をかなり正確に、丁寧になされていることも同時に分かる。

 

確かに、Birnbaumの英語翻訳では、原文から省略されている語句も散見されたが、このことについて、英語を母国語とするBirnbaum に全責任を負わせるのは酷であると思う。なぜなら、小説家(村上)は長い物語を紡ぐ際――-ところどころで――――物語を膨らませるべき時が訪れた時、自身の全精力をつぎ込んだ日本語文章を記述する性向がある。(※:「ふざけた断定をしないでくれ。ぼくは、どの箇所だって命を削って書いているに決まってるよ。おそらく、どの作家もね」、と言うのかもしれませんが。外野ですので

そのひとつが、この物語『羊をめぐる冒険』では、第二章の最初の部分なのだと思う。

 

 

【ここで提示したほんの僅かな部分だけでも、村上の小説の良点を認識していただけると信じます】

 

 

【使用書籍】

1: A  Wild Sheep Chase,  ペーパーバック;Haruki Murakami,  translated by Aifred Birnbaum:出版社 : Vintage (2000/4/20)

2:羊をめぐる冒険 、 単行本 ; 村上春樹、出版社 : 講談社 (1982/10/13)

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『シーザーズ・サラダ』 が食べたくなるエッセイです。村上の料理の描写は小説よりも上手なのです。 

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