『リッチ・ボーイ』と『我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史』の類似性

 

        

 

リッチ・ボーイ』と『我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史』は―――『リッチ・ボーイ』は村上の翻訳時期―――書かれた時期が近接しており、村上の『我らの時代のフォークロア―高度資本主義前史』は、フィッツジェラルドの『リッチ・ボーイ』など一連の作品にインスパイアーされての作品かも(?) 

 

リッチ・ボーイ』では1920年代、大金持ちの青年と金持ちのお嬢さんの物語

vs.

我らの時代のフォークロア・・・』は1960年代の、青春の女の子と男の子の物語

 

 

 

わたしは、この我らの時代のフォークロア・・・』を読んでいると、村上のストーリー・テラーとしての、ほとんど天賦の才と言ってもよい書きっぷりを賞賛しないではいられないのです。

 

以下の記述は、記憶に基づいて書いたもので細かな部分は原著と少し異なっている可能性はありますが、・・・・村上は小説の中で言っております。

 

誰かに話を聞いてそれを文章にするときに、一番大切なことはその話のトーンを再現することである。そのトーンさえつかめていれば、その話は本当の話になる。事実はいくぶん違っているかもしれないが、本当の話になる》 

 

これに意を強くして、いや唯一の頼りとして、以下の長めの文章をしたためてみました。

 

 

 [物語のまとめ]

1960年代に青春を過ごした女性、藤沢さんと、男性、那須野くんの哀しくも可笑しみのある、本当のお話?

 

ほとんどの方は、高校時代のクラス・メイトを思い浮かべて、那須野くん藤沢さん

 

そうそう いたいた、と思い出すはずです。 現代では?・・・・知りませんよ。

 

 

当時、特に女性はということですが 結婚する前の処女性ということが非常に重要視されていた。

この物語に登場する A丘高校の同級生、ミスター・クリーン那須野くん)とミス・クリーン藤沢さんもその例外ではなかった。

 

ふたりは女性が持つ、:結婚する前はきれいな身体、:結婚は自分より少しでも年上の男性、というフォークロア(民間伝承)に絡め捕られていた。当然、彼との物理的な愛の交合、あるいは結婚はかなわなかった。

 

その後、彼女が年上の男性と結婚したことにより、彼女を縛っていたその呪縛が消えてなくなる。

 

ある夜、彼女から那須野くんのところに連絡があった。

昔、那須野くんにしていた奇妙な約束

 

私、結婚した後でなら、あなたの望むことならどんなことでもするわ

 

を、今果たそうとしているのです。

 

 

 

 

[物語の経時的記述]

一九六〇年代 という時代には、確かに何か特別なものがあった。今思い出してもそう思うし、その時にだってそう思っていた。この時代には何か特別のものがあると。

 

 

僕は何も回顧的になっているわけではないし、また自分の育った時代を自慢しているわけでもない。いったいどこの誰が何のために、ある一つの時代を自慢しなくてはならないというのだ? 僕はただ事実を事実として述べているだけだ。

 

そう、そこには確かに何か特別なものがあったのだ。

 

 

女の子について話そう。 ほとんど新品の男性用生殖器を身に付けた我々と、その頃まだ少女であった彼女たちとの、どたばたした愉快で物悲しい性的な関係について。それがこの物語のテーマのひとつである。

 

 

これは僕の同級生、那須野くん藤沢さんの話である。

 

那須野くんは僕と高校で同級だった。 ひとくちで言ってしまえば、彼は何でもできる男だった。成績が良くて、運動ができて、親切で、リーダーシップがとれた。

 

とくにハンサムというわけではないのだが、いかにも清潔そうな感じの良い顔をしていた。いつも当然の事みたいにクラス委員をしていた。声もよく通ったし、ギターを弾きながら唄う歌だって上手かった(♪♪若者たち★)。弁も立った。クラスのディスカッションがあると、最後にまとめの意見を言った

 

もちろん、それは独創的というにはほど遠い意見だった。・・・あの学級会でだれが独創的な意見なんてものを求めるだろう。

 

You Tube.若者たち」:ザ・ブロードサイド・フォー

 

 

実は、僕が彼、那須野くんとはじめてちゃんと会話を交わしたのは高校の時ではなく、大学1年の夏休みのことだった。僕らは同じ小○島自動車教習所に通っていて、そこで何度か顔を合わせて話をした。ただ、・・・・良くも悪くも、不思議に印象というものがないのだ。鮮明に覚えているのは、僕が、教官と酷い喧嘩して自動車教習所をドロップ・アウトしたことだ。 教官連中は、ハンドルの持ち方は10時10分の形でだとか、車に乗る前は車の下を点検せよとか縦列駐車は一回の切り返しでとかイタリア人にもできないようなことを要求し、・・・・・僕が「そんな人を見た事ないです!」というと、教官が僕の頭を小突いた。つい応戦して結構派手な掴み合いになったのだ。僕は口の左端を酷く切られ、相手は僕の膝が当たって大事な所を抱えてうずくまった。彼は新婚のようだったので、‘ざまぁ見ろで、たぶんイーブンである。 ただ那須野くんは、なんと一回1,500円の超過乗車もなく、どの教官とも上手くやっていたように記憶している。そもそも、彼は中学の時から自宅の広い庭で親の車(白いカローラⅡだった)で運転の練習をしている。 しかも、指導教官を嫌味なく褒めるのは彼の得意技だ。 フン!

 

 

僕が那須野くんのことで覚えているのは、彼にガール・フレンドがいたことだ。彼女は藤沢といって、別のクラスの女の子で、校内でも指折りの美人で、成績が良くて、・・・・クラスのディスカッションがあると最後にまとめのための意見を言った。 どこのクラスにもこういう女の子がひとりくらいいる。 早い話が、

那須野くん藤沢さんは、似合いのカップルだったのだ。

 

彼らは「ミスター・クリーン」と「ミス・クリーン」、歯磨き粉のコマーシャルみたいなものだ。僕らは、彼らが何を考えて何をやっているのかなんてことには毛ほども興味を持たなかった あと彼について覚えていることといえば、土曜日のクラス会で彼が書く黒板の字が、ペン習字のお手本のように綺麗なことだった。しかも、左手でだ。彼は漢字もよく知っていた。

 

 

これは彼らの話である。たいして愉快な話でもないし、教訓みたいなものもない。 

いわばフォークロア(民間伝承)なのだ。

 

 

--------------------ものがたりの本体--------------------

 

これから書くのは、後年、那須野くんから聞いた話である。それもワイン・グラスを傾けながらのよもやま話の末に ふと出てきたものである。 だから厳密な意味では実話とは言えないかもしれない。

 

ただ、彼の話すトーンだけは今でもきちんと記憶している。そのトーンさえつかめていれば、その話は本当の話になる。 

 

 

僕(村上)と彼、那須野くんは、あろうことか ルッカ という中部イタリアの町で出会ったのだ。

 

僕はその頃、ローマにアパートメントを借りて住んでいた。妻が用事で日本に帰っていたので、ひとりで鉄道の旅を楽しんでいてルッカに来ていた。僕らは、偶然同じホテルに泊まっていた。世間は狭い。

 

 

その夜、我々はレストランで一緒に食事をした。 どちらも退屈していたのだ。お互いの姿をみて何だか ほっとしたのだと思う。

 

僕らは初めのうちはイタリアという国についての話をしていた。 

列車の時刻がいい加減なこととか、食事に時間がかかり過ぎることとか。 

 

暖炉に火が燃えていなかったなら、その話は話されずに終わったかもしれない

 

 

彼は話し出した。

 

ぼく は昔から自分を退屈な人間だと思ってきた

君は ぼくの高校時代の ガール・フレンド のことを覚えているかな?

 

藤沢って言ったかな?」と僕は名前を何とか思い出して言った。あまり自信はなかったが、ちゃんと合っていた。

 

彼は肯いた。

そう、藤沢嘉子。ぼく は彼女のことがほんとに好きだったんだよ。彼女と一緒にいて、いろんなことを話すのが好きだった。ぼくは心の中にあることを全部彼女に話せたし、彼女も僕の言う事をちゃんと理解してくれた。・・・・彼女と出会うまでに、ぼくには まともに話をできる友達のひとりもいなかったんだよ

 

―――――――――――――――――――――

 

彼と彼女、藤沢嘉子はいわば精神的な双生児だった。

 

       北野武ギャラリーより

 

二人は週に一度の頻度でペッティングをするようになった。

 

だいたいは、どちらかの家の部屋でやった。どちらの家にもあまり人がいなかったのでそうするのは簡単だった。彼らのルールは服を脱がないことだった。そして、指だけを使った。

 

そのあとでひとつの机に椅子を並べて二人で勉強をした。

 

 

さあ、もうこれでいいでしょう? そろそろ勉強しましょうと彼女はスカートの裾を直しながら言った。

 

でも彼はそんな関係にすっかり満足していたわけではなかった。何かが欠けていると彼は感じていた。そう本物のセックスを彼は求めていた。多くの男子がそうであるように。

 

 

でも彼女はそれとはまったく違う観点から物事を見ていた。彼女は唇を結んで、小さく首を振った。

 

あなたのことはとても好きよ。でも私は結婚するまでは処女でいたいの

 

と彼女は静かな口調で言った。そして、彼がどれだけ言葉をつくして説得しても、苦労して用意した避妊具(やっとお願いして友達の兄貴から手に入れた)を見せても興味深そうに封を開け引き伸ばして ひとつ使えなくしただけで、全く取り合ってもらえなかった。

 

 

彼は 彼女と結婚することを真剣に考えてもみた。 そして、その事を彼女に伝えてみた。

 

彼女は余裕のある微笑みを浮かべながら言った。

 

それは無理よ。私とあなたは結婚できないわ。

 

私は4月生まれで、あなたは12月生まれなのよ。知らなかった?

 

 私は、少しでも、そう一カ月でも年上の人と結婚するし、あなたはいくつか年下の人と結婚するのよ。じゃないと親戚の叔母さんに変な目で見られるの。 それが世の中の普通の流れなの。

 

私達が大学を出てすぐに結婚したとしても、それはきっとうまくはいかないわ。

もちろん、私はあなたのことが好きよ。でも、それとこれとは別なの

 

それとこれとは別なの

 

というのは彼女の口癖だった。

 

結局二人は高校を出るまでずっとそんな関係をつづけた。

 

 

そして、1967年の春に彼は東大に入学し(例の学生運動のせいで、すぐに変な学生生活になったのだが)、彼女は ○戸女学院大学に入った。女子大としては確かに一流だったが、彼女の成績からすればそれはもの足りない選択だった。彼女は、その気になれば東大に入ることだってできたのだ。でも受験さえもしなかった。

 

 

 

彼は何もすることがなかったので大学一年生の夏休みに神戸に帰って、彼女と毎日のようにデートした。その年の夏休みに、僕と彼とが自動車で再び顔を合わせた(あの退屈な教習所で。知り合いとなら誰とでも話をしたくなる・・・・あの教習所。ただ、僕、村上はその自動車教習所さえもドロップ・アウトしてしまったのだが。あの、新婚の教官とのトラブルがもとで・・・・)

 

 

彼と彼女、ふたりは彼女の運転する車でいろいろなところへ行って、昔と同じようにペッティング―――それもかなりディープな行為―――をした。

 

二人の間で何かが変化しはじめていることに彼が気が付かないわけにはいかなかった。

 

 

たぶん、俺の方が変わったのかもしれないと彼は思った。

 

 

あるとき、彼はもう一度結婚の話をもち出してみた。・・・・でもだめだった。

 

ただその時、彼女は少し不思議な事を言った。

 

 ねえ、もしもよ・・・・あなたと別れることになったとしても、あなたのことはずっといつまでも覚えているわ。本当よ。決して忘れない。私はあなたのことが本当に好きなんだもの。あなたは私が初めて好きになった人だし、あなたと一緒にいるだけですごく楽しかったの。それはわかってね。ただ、それとこれとは別なのよ。もし何かそれについて約束がほしいのなら、約束するわ。 

 

私は絶対にあなたと寝る。でも今は駄目なの。私が誰かと結婚した後であなたと寝る。嘘じゃないわ。約束する

 

そのとき ぼくは、彼女がいったい何を言おうとしていうのかさっぱりわからなかった。

 

ぼくと彼女は結局別れた。どちらが言い出して別れたというのでもないんだ。ただ ある日、伸びきってしまったんだよ。たぶん彼女のモラルみたいなものがね。

 

 

それからずっと藤沢嘉子には会わなかった。

 

ずっとだよ。 ぼくは大学を出て、ある商事会社に入った。そしてそこで五年ほど働いた。 外国にも駐在した。毎日が楽しかった。

 

大学を出て二年くらいたってから、彼女が結婚したという話を聞いた。

 

ぼくはその話を聞いて最初に思ったことは、彼女は結婚する時まで本当に処女だったのだろうか、ということだったんだ。 まずそのことを考えたんだよ。

 

 

ぼくは晩婚だった。結婚したのは三十二だった。 だから藤沢嘉子から電話があった時、ぼくはまだ独身だった。 二十八だったな。 ぼくは独立したばかりだった。父親から借金して小さな会社を始めたんだ。人生の中でいちばん まいっていた時期かもしれない・・・・。

 

 

 

ちょうどそういう時に彼女から電話があったんだ。どうやって ぼくの電話番号を調べたのかわからない。でも夜の八時頃に電話がかかってきたんだ。それが 藤沢嘉子の声 だということはすぐにわかった。

 

誰に聞いたのかは知らないけれど、彼女は ぼくのことを何から何まで知っていた。まだ独身であることも、ずっと外国に駐在していたことも。一年前に会社をやめて独立したことも・・・・

 

ぼくは彼女のことを訊いた。

 

どんな人と結婚したのかとか、・・・どこに住んでいるのかとかね。彼女は東京に住んでいた。品川のマンションだ。 ぼくはそのころ白金に住んでいた。近所とはいえないにせよ、まあすぐ近くだ。不思議なもんだ、と ぼくは言った。ぼくらはまあそういう話をした。

 

 

彼はしばらくテーブルの上の自分の手を見ていた。そしてそれから顔を上げて僕の目を見た。

 

ぼくとしてはできることならそこで電話を切りたかった。電話をしてくれてありがとう、君と話せて楽しかった、という風に。それはわかるかな?

 

「それがいちばん現実的だろうね」と僕は同意した。

 

 

でも、彼女は電話を切らなかった。そして僕を家に誘ったんだ。これから遊びにこないかってね。主人は出張していないし・・・・。

 

私は、昔あなたとした約束のことをまだちゃんと覚えているのよ

 

約束?

 

 

約束」の意味はとっさには解からなかったが、もちろん彼には断れなかった。どうして断れるだろう?

 

 

それは永遠のおとぎ話フェアリー・テイル(妖精の物語: fairy taleなのだ。

それは一生に一度しかない見事なフェアリー・テイルなのだ。 彼がいちばん傷つきやすい時期を共に送った美しいガール・フレンドが、

 

あなたと寝たいから今から家に来てくれないか

 

と言っているのだ

 

 

もしもしと彼女が言った。那須野 くん、そこにいるのよね?

 

いるよと彼は言った。

 

わかった、今から行くよ。三十分もかからないと思うよ。君の家の住所を教えてくれないかな

 

 

 

君ならどうした?と彼は僕に尋ねた。

僕は首を振った。そんな難しい質問にはとても答えられなかった。

 

行くか、行かないかだ。どちらかだ。真ん中はない。 そう、中間はないのだ。

 

 

 

そして ぼくは、彼女の家に行った。ぼくは彼女の家の玄関ドアを直接ノックした。

ぼくは彼女がそこにいなければどんなにいいだろうと思ったのだ。

ノックしたけどいなかったようだからと。

 

でも、彼女はそこにいた。

 

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

 

ぼくらは黙ったまま抱き合った。

 

でも寝なかった。ぼくは彼女の服を脱がさなかった。ぼくは昔と同じように、指だけを使った。それがいちばんいいと思ったみたいだった。 ぼくらは 何も言わずに長いあいだ ペッティング をしていた。 ぼくらが理解すべきことは、そうすることでしか理解しあえない種類のものだったのだ。昔だったら、ごく自然にセックスをすることによって、もっとお互いを知り合えたと思う。もっと幸せになれたかもしれない。でも もうそれは終わってしまったことなんだ。封印されて、凍結されてしまったことなんだ。もう誰にも。その封印をとることはできないんだ。

 

 

彼女のところにいたのは全部で一時間くらいのものだったと思う。 それ以上そこにいたら、ぼくの頭はおかしくなっていたんじゃないかと思うよ。

 

そして、ぼくは彼女に さよなら を言って出てきた。 彼女もぼくに さよなら と言った。 そしてそれは、本当の最後の さよなら だったんだ。それは ぼくにもわかっていたし、彼女にもわかっていた。

 

 

 

最後に見たとき、彼女は腕組みをして玄関のドアの前に立っていた。

 

彼女は何かを言おうとしていたのか、 彼女の口のまわりの空気がわずかにゆれたように感じられた。

 

・・・・・・・・・・

 

でも何も言わなかった、・・・と思う。

 

ただ、彼女が何を言おうとしたかは、ぼくには聞かなくてもわかった。  

 

 

ぼくはひどく、・・・酷く虚ろだった。空洞みたいだった。彼女のところに取ってかえして彼女を思い切り抱きしめたかった。でもそんなことはできなかった。できるわけがないんだ。

 

もしそうすれば何が起こるか、彼には十分わかっていたのだ。

 

 

 

 

僕はしばらく、テーブルの上の半分空になったコーヒー・カップを眺めていた。

      デミタス:「タイガー・リリー

 

そして、以前自分がどれほど傲慢な人間であったか、それについて考えた。どんな気持ちで君たち二人をみていたか。 僕はそのことを何とか彼に伝えたいと思った。 

何と冷たく那須野藤沢さんを眺めていたかということを。でも、うまく伝えられそうもなかったので彼の言葉が出てくるのを待った。

 

 

すべてが終わったあとで、王様も家来もみんな腹をかかえて大笑いをしました

 

とやがて那須野くんは言った。

 

ぼくはそのときのことを思い出すたびに、この文章を思い出すんだ、条件反射みたいに。ぼくは思うんだけど、深い哀しみにはいつもいささかの滑稽さが含まれている

 

 

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僕(村上)は思うのだけれど、この話には教訓と呼べるようなものはない。でもこれは彼の身に起こったことであり、我々みんなの身に起こった話である。 だから僕にはその話を聞いても那須野くん藤沢さんのことを大笑いなんかできなかったし,今だってできないのだ。

 

 

「おしまい」

 

 

問い: 彼女、藤沢さんが、最後に何と言おうとしたのか?

AI採点のため、以下三つのいずれかに絞り込んで、□□□□□の部分に20字以内(句読点を含む)で適当な言葉を提示してください。解答は、右詰でも、左詰めでもOKです。

 

A:「わたしって、□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□」

B:「あなたって、□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□」

C:「ふたりって、□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□」

 

解答例:

A:「わたしって、おしゃべりね。引き止めてごめんなさい□□」

 

You Tube:『 再会』 金子由香利

 

 

 

追記:

フィッツジェラルドについて村上が書いた深い想いがありましたので、一部を抜粋してみます。

 

【フィッツジェラルド体験】

・・・・・・例えばフィッツジェラルドは小説を書く僕に影響を与えたか?  答えはイエスであり同時にノーである。 文体やテーマや小説の構造やストーリー・テリングといった分野に関していえば、彼の影響は無いに等しいような気がする。 彼が僕に与えてくれたものがあるとすれば、それはもっと大きな、もっと漠然としたものだ。 人が小説というものに対して(それが書き手としてであれ、読み手としてであれ)向かわねばならぬ姿勢、と言ってもいいかもしれない。 そして小説とは結局のところ人生そのものであるという認識だ。

 

 もしこのような「フィッツジェラルド体験」というものがなかったら、僕は果たして小説というものを書いていただろうか? いや、この問いにはあまり意味がない。僕はたまたま小説を書いた、ということだけなのだから。つまりもし僕が小説を書いていなかったとしても、僕とフィッツジェラルドの関わり方には何ひとつ違いはなかったはずだからだ。

 とはいえそこにはひとつだけ確実なものが存在する。 もしフィッツジェラルドに巡り合わなかったなら、僕は今とは全く違った小説を書いていただろう。 それだけは確かだ。

 

 人が小説に出会うというのはそのようなものではなかろうか、と僕は考える。

                   (マイ・ロスト・シティーより

         北野武ギャラリーより

 

[使用書籍]

TVピープル (文春文庫) 文庫 – 1993/5/10

村上 春樹 (著)

 

マイ・ロスト・シティ- (村上春樹翻訳ライブラリー f- 1) 新書 – 2006/5/10

フランシス・スコット フィッツジェラルド (著), Francis Scott Fitzgerald (原名), 村上 春樹 (翻訳)

 

 HANA-BI 北野武ギャラリー 大型本 – 1998/1/1

後藤 亘/発行人 (著)