しかし、鉛筆でのデッサンあたりまでは、
良いのだが、絵の具を使う段階になると、
乾いていない色の境目が新しい絵の具と
ニジんだりした瞬間、集中が途絶え、
やる気がなくなる性分だった..。
これからどう描いていくかという
創造力は萎えてしまい、写生大会
なんかがあると、絵の具を途中で
ブン投げて遊んでしまう子供だった。
・・・・・
人にはそれぞれ、得手・不得手がある..。
写実画は苦手だが、単純なデフォルメ似顔絵等は、
クラスでウケていた。
恐い先生の似顔絵を面白おかしく描いていて、
僕の机の周りには人が集まっていた...。
急にあたりが「シーン」とし、振り向くと、
その先生が絵を凝視していた。
「誰だ?これは?」と聞かれ、
絶句したものだ...( °д°;
..............................
僕とは逆に細かいことをコツコツ
と、忍耐強く完成させる事を喜びと
するタイプの人も入る..。
従兄弟の奥さんは広告や、チラシを
日頃集めていて、それを細かく切り貼りして
見事な貼り絵を作る。
来年のトヨタのカレンダーから
オファーがかかるほどの才能だ..。

↑その方の貼り絵..。広告チラシを集めて切り貼りしたというのがスゴイ( ̄□ ̄;)
その方も、苦痛ではなく創造を楽しみながら
やっているように思う。
たとえ地味な仕事の中でも、自分の中で、
地味ではなく、テーマを決め、
やり終えたときの達成感は大きい。
今日の新聞にこんなコラムが..。
【下記引用文】
未来っ子が車輪付きのイスで“タクシーごっこ”を
して遊んでいた。
子どもの想像力には
大人はとてもかなわない。
「遊び」こそ「学び」だ。
“人は生まれながらにして、
生きるために自ら学ぶ”
と洞察した教育者に、
イタリアのマリア・モンテッソーリがいる。
彼女の提唱した幼児教育では、
一斉指導はせず、子どもを中心に据え、
一人一人に即して支援することが中心となる。
日本では、早期教育の一種と思っている人も多いが、
知的障がいや貧困家庭の子どもたちへの
教育から発展してきたものだ。
子どもを、未完成な、教え込むべき
存在と見なすのではなく、
元来、学ぶ力を持った存在として脇から支える。
関わる全ての大人たちに、大切な姿勢であろう。
長野のある女子は、2歳のころに自閉症と診断された。
周りと同じ行動ができず、
泣いてしまう日が多かった。
だがある日、母が用意した
「紙と色鉛筆」が人生を変えた。
それを手に、目に映る物や想像した
世界を描くようになり、
心の内を存分に表現できる喜びを知った。
元気に成長した彼女は、
真っすぐな表現力が話題になり、
絵の個展を開くまでに。
全ての子どもの可能性を信じ抜く。
家庭も社会も、ここが教育革命の出発点である。
【上記迄引用文】
人間、ともすれば自分ができるのに人ができない事は
否定し、人ができて自分ができない事は肯定する。
人ができて自分ができない場合でも否定をする人もいるが(笑)
個々のポテンシャルを見抜き、肯定し、成長のヒントを
送れる人は、尊敬され、またいい先輩・後輩、友や知人に
恵まれる。

