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男道 〜鈴木康之物語〜

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70年代初頭

福島はもとより東北に3000人のメンバーを有した「東北連合」とはいったいどんな組織だったのか。





「原正夫は逃げてはいないんだ。あれはでっち上げ」

いきなりそんな事を言われて驚いた。

「ではどうしてあんな噂が」と聞くと言葉を遮る勢いで「まぁそれはまだいい」。

何だか肩透かしをくらった思いだったが盟友で恩人でもある人の大切な話を若僧のお前なんぞにそう易々と教えてやるか!という事なのだろう。

そうか ならば粘り強く話を聞くだけだ。



「東北連合とはどんな組織だったんですか?」

「何か面白いエピソードはないんですか?」

「やっぱり鉄パイプ持って暴れたりした不良グループなのですか?」

と矢継ぎ早にそんな不躾な質問に顔色一つ変えず私を見つめる鈴木氏の眼光は益々鋭く光った。



「お前はわかってない。東北連合とはレーシングチームなんだ。暴力団でもチンピラの集まりでもない。ただ組織が巨大になると東北連合の力を借りたいと言う人が現れだすんだよ」

「例えばどんな人ですが?」

「ワンステップフェスティバルを主催した佐藤三郎だ」


若い方にはご存知ない方もいるかも知れないが19748月に郡山の開成山公園で行われた野外フェスティバルだ。

日本の中心的なロックミュージシャンが集まっただけでなく当時ジョンレノンと別居中のヨーコオノまでやって来た正に一大イベント。約7万人を動員したと言われている。


その主催者が佐藤三郎氏だ。


そのワンステップフェスティバルで東北連合は警備を担当したと言う。

「当時は危ない奴等がいっぱいたしアーティストのボディガードが必要だった。暴走族なんかにと思うだろうが警察より頼りになるし金も掛からない」


なるほどワンステップフェスティバルは経費が相当かかって大変だったと言う話を聞いた事がある。

確かにボディガードとして強面の集団に守ってもらうのは賢い選択なのかも知れない。

また当時はローリングストーンズ等のロックミュージシャンの警護をアメリカの巨大暴走族ヘルスエンジェルスが行ってるというニュースもこの事と無関係ではなかったと思われる。




「ただな。矢沢には頭来たんだよ」

ん?矢沢って・・・

「キャロルの矢沢だ」

えっ?あの矢沢永吉の事?

「矢沢が内田裕也とケンカになったんだ。ところが内容は忘れたけど矢沢が我儘か何かでチンケな事を内田裕也に言って来たんだ。だから俺は頭来たから・・・」


えっ!まさかあの矢沢永吉を・・・



事実それ以降矢沢永吉は郡山が苦手になりコンサートがあっても宿泊しなかったという話もある。またコンサート中に「ここの街には怖い人がいるんだよなぁ」とステージのMCで話した事も。



「でもな。ある暴走族の奴が矢沢を刺すと言う話があった。だから当日はキャロルの警備は俺らが直々でやって守ったんだ」

「ケンカどころか恩人じゃないですか」

「そうだ。しかもそんな事が2度もあった。でもこの件に関しては一度も矢沢からお礼の言葉がないんだよ。まぁ怖いんだろ。矢沢とはそういう男なんだよ」


鈴木氏は一度も矢沢永吉を永ちゃんとは呼ばなかった。

ずっと矢沢と呼んでいるのは鈴木氏に矢沢永吉に侮蔑する感情があるように思えた。