「氷室」誌 2026年3月号より

400回記念 「私の一句自註」

 

湯拭きせし馬のまつげや風光る   朝田玲子

 馬はたくさん汗をかく。運動の後はブラシで洗ってやり、尻尾はシャンプー、顔はタオルで拭く。さっぱりした馬の顏に風が躍る。

 

父の戦死に母の戦ひ終戦日   荒木昭代 

 戦後母は仕事して夕方からは畑仕事をして食料難の時代を兄と私を育ててくれた。まさに母の戦いであった。母に感謝し尽くせない。

 

飲み方の上手や下手やラムネ瓶   有岡萃生

 上五中七は当初「飲み方の下手な子ゐて」だったが、主宰の添削により掲出句となった。目指すべきところだと思った。

 

振売の賀茂の野菜や初時雨   石原ゆき子

 実家の近くには週に一度、採れたての野菜を積んだトラックが訪れ、時雨とともに味わいを増す冬野菜を楽しみにしていました。

 

訪へば玄関に待つ素足の師   伊藤弥生

 偶然の出会いから、私を俳句の世界へと導いて下さった師。今は姉とも慕う師のチャーミングな普段の姿に接したときの一句です。

 

秋入日棚田の先の日本海   植田清子

 以前、能登半島を旅した折、夕陽に染まる日本海、大棚田の静かで雄大な風景を詠みました。震災被害の復興を祈るばかりです。

 

慰霊碑に伏す祖母の影夏の雲   碓井芳雄

 焼けるような日差しと鳴きやまぬ蟬の声の中、ひろしまの八月六日は未明から深夜まで深い祈りに包まれます。

 

しはぶきはコソコソと言ふ森の民   大石高典

 南部アフリカの森に暮らす狩猟採集民であるバカは、オノマトペを多用する。咳をして出るその音がそのまま咳の意味に使われる。

 

昼の間に片目落ちたる雪達磨   大畑照子

 「事実の現象のみを素直に表現、何をどう見るか、俳句に理屈は要らない」と評していただき、俳句の基本を再確認した句です。

 

いつまでも客地と思ふ夕桜   片岡和子

 島に移住して六年、生活に慣れてまいりましたが、心の居場所が見つかりません。そのさびしさを夕桜が代弁してくれました。

 

秋深し伏し目がちなる石仏   片山旭星

 奈良県斑鳩町を訪れた際、畑の脇のお地蔵様二体が目に入り、思わず手を合わせました。その控えめな微笑みが心に残りました。

 

どことなく駅のよそゆき四月の来   加藤 剛

 四月になると、駅では新入生や新社員の姿をよく見かけます。初々しさに包まれ、いつもとは違う駅の様子を詠みました。

 

アネモネや最終章は明日に読む   城戸崎雅崇

 読書は好きですが、齢とともに詠んだ端から忘れていきます。楽しみを明日にとっておくのか、読み疲れたからなのか。

 

聖夜ミサ少年の目に灯の揺れて   栗本徳子

 息子が入学した中学では毎年降誕劇が行われます。手に蠟燭を持った、まだ幼さのある少年合唱隊の厳粛な聖歌に魅せられました。

 

手の長き猿が餌欲る日永かな   小嶌 和

 五歳で税関に保護され、日本モンキーセンターで育ったオスのフクロテナガザルは今では子を生し、のんびりとバナナを食べている。

 

王義之の書にも春風見つけたり   小堀恭子

 蘭亭の序を臨書していて楽しくなり浮んだ、俳句を始めた頃の句です。

 

秋惜しむすり傷目立つ腕時計   小堀尚美

 タンスの上に使わなくなった腕時計。古びてガラス面に細かい傷。愛しさや寂しさがこみ上げ、手に取り眺めていました。

 

金碧の鹿の瞳や漁名残   齋藤亜矢

 狩猟に同行したとき、鹿の瞳が美しい金碧色ではっとした。網膜の反射板タペタム由来の光だが、神々しく、ありがたいと感じた。

 

育児書に手がかりのなく土用入   佐藤慎一

 娘の誕生を機に入会した氷室。その娘二歳時の作品コンクールで入選をいただきました。現在五歳。ネタの宝庫として成長中です。

 

嫁ぐ日をかぞへ娘と二日月   清水淑江

 娘の結婚式を前に、嬉しさと寂しさとが混ざり合っていた頃、夕暮れ時の空に生まれて間もない二日月がとても美しかった。

 

風を濾すごと少年の捕虫網   鈴木大輔

 子供と蜻蛉を捕りに草叢に。捕虫網を振り回すがなかなか蜻蛉は捕まらない。網で濾されたのだろうか、澄んだ風だけが頬に優しい。

 

一杯の水飲み干して広島忌   髙松房子

 八月の広島忌を直立にて黙禱します。後、水を飲み干して胸の痛む思いです。どんなにか水を欲していた事かと深く思うのです。

 

(まだまだ、つづきます。乞うご期待)