部活、何部だった? | 流星・改の雷撃ブログ

部活、何部だった?

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部活は中・高とバレー部でした。

今回は中・高の部活の話は・・・無です。

では、小学校の時は?と、言いますと、自分が通っていた

小学校は5年生から必修クラブがありまして、必ずどこかの

クラブに所属しないといけませんでした。

希望したクラブに確実に入れる訳でもなく、

各クラス事にこのクラブは何人と割り当てが決まってました。

自分が5年生の時に入部したのが「郷土部」で、元々社会が好きな教科だったので、

4年生の頃から「5年生になったら絶対、郷土部に入る」と決めてました。

郷土部はあまり人気が無く、サクッと入部できました。
(自分がいたクラスでは自分一人だけでした)

活動内容は?・・・学校の周りを散策したり、教室で自分が住んでいる川口市の

歴史等を授業形式で聞いてました。

何より嬉しかったのは、川口市の白地図が貰えたことですね。

この白地図は結構大きくて、駅に貼ってあるポスターよりも大きかったです。


6年生になった時は「マンガ部」でした。

絵は下手ですが、絵を描くのは好きでしたので入部しました。

マンガ部は部員も多く80人ぐらいいました。
(2つの教室に分かれてました)

顧問がクラスの担任だった事もあり、部長に指名されました。

部長と言っても顧問の遣い走りのような感じですね。

よく描いていたのは、電車(L特急、ブルートレイン)や釣りキチ三平を描いてました。


余談ですが、小・中の図工の通信簿は5段階評価で常に2、たまに3だったり

しましたが、高校の芸術科目で美術を選択したら、高校3年間は

10段階評価で常に8又は9でした。

絵に関しては先生の好みってあるんですね。

テーマが無く「自分の好きな絵を描いていいよ」という時がありまして、

その時に魚(渓流でヤマメが跳ねている)の絵を描いたら、先生が気に入ったようで、

自分に返してくれず、美術室に飾ってました。魚の絵を描く生徒は珍しかったようです。


今でも、印刷ミスした用紙の裏側にたまにですが、絵を描いたりしてます。