GWの間、表題の書籍を再読しました。2011年の出版ですからかれこれ13年ほど前の本になります。

 

 

 

 

以前、当ブログでも記事にしたことがありますので、再掲です。厳密には適切ではないかもしれませんが「分室印」のテーマで投稿します。

 

 

 郵便関連の趣味を持っていても知らない人が多いですが、戦前にはカムチャッカ半島先端の目と鼻の先に日本の郵便局がありました。北千島、幌筵島の柏原郵便局と擂鉢郵便局です。どちらも函館郵便局の分室ですが郵便局であることには変わりありません。同じ島内でも柏原の方が擂鉢より北にあるため、軍事郵便局を除けば、郵便史上、日本最北の郵便局が函館郵便局柏原分室ということになります。その柏原分室に昭和17年9月から18年4月まで冬季赴任された著者の体験記が『厳寒の地、北千島の郵便局物語』です。

 この2局は昭和11年6月1日に函館郵便局の出張所として設置され(翌12年に分室と改称)、以降、春から秋口まで営業を行った、いわゆる季節局ですが、開局期間は毎年異なっていました。場所が場所だけに、冬季の寒さは想像以上の厳しさでしょう。夏場は漁業で賑わう島も、秋には住民のほとんどが本土へ引き揚げていましたので、郵便局も夏季のみの営業だったわけです。ところが、告示上では、昭和15年から柏原分室だけが冬期営業も始めて通年開局する、いわゆる周年局となっています。なぜだろうとずっと気になっていたのですが、この本を読んでその謎が解けました。昭和15年から陸軍部隊が柏原湾に駐屯することになったため、軍の要請で周年開局することになったようです。また、昭和18年に軍事郵便局に移行したらしいことは知っていましたが、それが事実であったこともわかりました。

 幌筵島から出された郵便物(2局合計)は、たとえば昭和11年では、普通郵便;約5万通、書留郵便;250通、小包郵便;2500個だったそうです。また、昭和14年から16年にかけて北千島の遠洋漁業は最盛期を迎えたそうなので、郵便物の取扱い数量も多くなったはず。毎年数万通の郵便物が差し出されていても、幌筵島の二つの郵便局の消印が押されたカバーは滅多に見られないものとなっており、やっぱり本土の郵便局における引受数量とは桁違いに大きな差があることを痛感しています。書留郵便のカバーが出てきたら珍品どころの騒ぎじゃないでしょうね。