私なりに、構築してきた、た聖者のイメージがある。
一番弱い人を助けようとする。
聖者はすごいものを持っていても、聞かれないわざわざ限り語らない。
一つのものが全てとは言わない。いろいろなものを認める。
自らがボロをまとっていても、相手のためにつくすことができる
etc……
最近、そのイメージはどうだったんだろう……と思う。
■一番弱い人……
お金を持っていない人は弱い人の一つのタイプだと思う。
そして、そんな人を助けるためには、無料で、何かを与えなければならない。
でも、世の中、安いものには裏があると思う人もいる。そんな人を助けるためには、お金を取った方がいいのかもしれない。
■聖者はすごいものを持っていても、聞かれない限りわざわざ語らない。
これは、語ると、相手に自分というものを錯覚させるから。
あの人は、ステイタスの高い人だからいい人だ。
あの人は社長だからすごい人だ。
もちろん、その通りな場合もある。でも、実際はそうじゃない場合もある。
でも、語れば、錯覚する人を助けることもできると思う。
だけど、語ると妬みや嫉妬の対象となる場合がある。
そういうものから逃れることは、完全にないような人とだけおつきあいしない限り以外の手段で、できるのだろうか……
いろいろと考えると、こうだから、こう!という定義なんて存在しないのかなとも思う。
定義も、完全なものも、状況によって変わるというのが真理なのかな。
思い描いていたのは、私の好きな聖者にすぎなかったのかな……
ちなみに、私としては、相手に錯覚させることなく、純粋に自分を見てほしいから、例え持っていてもわざわざ語りたくは無い。
語ると自慢に見えることもあるし、妬みを受けうることもある。
ただ単に自分と同じだから好きだったのかなあ……
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メモ
気功を極めると邪気を受けなくなるという話を聞いたことがあるけれど、邪気をうけないっていうよりも、邪気を発生させないよう行動できるようになるということにすぎないのかしら……なんて思ってみたりする