501 Story(2)
この前の続きを少々。。。
先日はSteve McQueenとClint Eastwoodの話から501のお話につなげる筈が・・・.
というよりは、そうそう、映画の話から501でした・・・。
あれは、僕が映画オタクだった小学校高学年~中学生くらいだった当時の話ですね。
映画が大好きだった僕は、同時に、音楽的に言うなら「OLDIES」なファナティックだったんですね。。。
これはどれくらいのファナティックなのかと言うと、そう、例えば「Stand By Me」なんかがこのジャンルの曲になってくる訳ですが・・・、基本的に、カラオケ全部ソラで歌えるくらい・・・。
あ、当時の曲なら殆どです。。。。
当然レパートリーは当時のビルボードでかなり売れた曲限定ですが、1955~1965年くらいのアメリカ産のまぁ、当時のアイドル的楽曲に過ぎないわけですが、殆ど、いけます。
どんなカラオケより、僕の頭の方が多く入ってますね。。。
(会社のスタッフなどは耳がタコになってしまってるくらいに聞かされちゃってます・・・汗)
Only You (プラターズ)から、Bill Haley & His Cometsのロックアラウンドザクロック、Beach Boysは殆ど。エルビスなんかも行けます。もちろん、エディコクラン、ラバンバのリッチーバレンツ、Big Bopperは大好き。それにLittle Daring のThe DIAMONDS。。。。
当時まだメディアが限られていた、1980年代初頭から中盤、僕はオールディーズの曲が英語の先生でした。。。
そう、当然ながら、このカラオケな原点の映画があるわけですね。。。
あの、ジョージ・ルーカスのほぼスクリーン製作初め段階の映画・・・。JAWSをスティーブンスピルバーグが撮ったより前。
STAR WARS なんかより前です、、、もちろん。
そう、1960年代を扱った珠玉の青春映画、
「American Graffitti」です。。。
この映画は、、、もう一度見たら僕の場合病み付きで、、、毎年夏になると一度は見なくちゃ気が済まない、この映画で夏が始まり、夏が終わる・・・、そんな映画です。
この映画も「夕陽のガンマン」同様、どこでどの音が鳴る、どういった音楽の入り方をする、、、シーンの隅々まで覚えてる映画になります・・・。
ビルヘイリー&ヒズコメッツのドラムの音で始まり、要所要所でビーチボーイズが当時「ロックじゃない」的扱われ方をしていつつも時代を反映するバンドに育っていった背景なんかを感じ取れ挿入されてた楽曲の数々。最後はAll Summer Longという、夏の終わりを告げるちょっと悲しげで、だけど懐かしげで、甘くて切ない青春の一日の想いでの終わりに相応しいBeach Boysらしい一曲で締めくくられました。
さて、そろそろそれじゃぁ、、、
501と映画、そして僕のつながりを・・・。
このAmerican Graffitti 、通称アメグラ、この映画の準主役にポール・ル・マットっていう俳優さんがいました。
配役的には、「John」っていう、他の主人公の、ちょっと先輩。
ケンカが強くて、すごく早いクルマに乗ってる。
車は '32 FORD、、、通称 Duece Coupe(デュース・クーペ)。
この車、本物の場合、レストアされてるやつだと、5000万円以上はする可能性があります。。。
因みに、黄色いこのデュース、ナンバープレートは「THX138」・・・。
映画なオタクな方にはもうお分かりとは思いますが・・・、
そう、ジョージ・ルーカスの特殊撮影開発会社とでもいましょうか、STAR WARSでの撮影技術革新の転売と研究、、その他諸々する会社の名前ですね。。。。「THX」
それはそれとして、このデュースに乗ったジョンが、、、ちょ~~~、カッコいい!Too Kool!!
そして、このジョンが履きこなすのが、当然ながら「501」
それまで「理由なき反抗」のジミー・ディーンでしか知らなかった501の履き方、
こいつを教えてくれたのが、ジョージ・ルーカスのアメリカングラフィティでした。。。
Leviの501にウェスタンブーツを履きこなす姿は、かなりの衝撃でした。
腕っ節が強く、みんなに頼りにされてる、そう、大学へ進学する勇気がなく、地元の短大で妥協しちゃってる、決してカッコいい存在じゃないのかもしれない、だけど、そこが等身大でなんとも言えず、素直に受け入れられた、いつの時代にも居続けるLocal HeroなJohn。。。
いつまでも大人になりきれない、そんな自分に自ら気がついてて、劇中「まだ事故ったことはない」とそろそろ陰りが見えてる自信無さげな言葉と、エンディングでその後、やはり好きな自動車のドラッグレースで命をふいにしてしまったという「駆け抜けてしまった」青年。
そこには、Jimmy Deanと被る、何か哀愁があるような、何か言いたげな存在として、いつまでも年を取らない「永遠の少年」が見え隠れします。
だから、501も或は、デニムも、永遠なのかもしれません。
そう、当時を少し思い出してみましょう。
あれは、1982年。
当時、表参道にEIKOっていうジーンズショップがありました。
暫く通ってると、当時そこがリーバイスの直営店だったということが分かりました。
今でも思い出すと何かの因果を感じますが、そこの店長さん。
失礼ながらお名前は思い出すことができませんが、衝撃的だったのが、お誕生日が同じ!!・・・だったこと。
有名な方々だと福山雅治さんとか、ボブ・マーリーさんとかが同じなのですが、当時の、たかが中学一年、二年のまだ毛も生え揃わないようなガキんちょだった僕には知り合いでは同じ誕生日の人との出会いは衝撃的でした。
誕生日が同じ、ということで全くその方からしたら迷惑な話だったかもしれませんが、ことあるごとに表参道のEIKOショップに顔を出しちゃぁ色々なジーンズの話を聞かせてもらいました。そう、だけど、この当時、実際501って手に入らなかったんです。日本では。
少なくとも、新品はありませんでした。
当時は505というジップフライ(前がチャックのやつ、ですね)のものが新作のリーバイ・オリジナル・ジーンズで、501は日本には輸入されてなかったんです。
僕はそれでも501,501,501、シュリンク to フィット、実際のサイズより2インチくらい大きなのを選ばないといけないんですよね、、、等とと連呼していたので、それじゃ、本社に聞いてみてあげるよって言ってもらうまで通いました(汗)。
当時30歳くらいに見えた表参道EIKOの店長さんは、お兄ちゃんみたいな印象を持ってます。未だに。
その店長さんによれば、
「今は日本じゃ501なんて旧い、時代遅れなものは入荷しても売れないから、正式には輸入はしないんだって」
そんなニュアンスの答えが返ってきました。
だけど、同時にこうも添えてくれました。
「どうしても欲しいっていう子がいるから、一本だけ、入れてくれませんか?って聞いたら、オッケーだってよ!!」
・・・そのときのパっと明るくなった自分の表情は鏡はなくとも今でも想像できます。
それから、多分一ヶ月ほどしてから、家に電話がかかってきて、土曜日、学校が終わるとすぐすっ飛んでいったのは言うまでもありません。
当時は1本だけしか入荷してないから、値段がつけられないってことで、「505と同じ値段でいいよ」って言われた金額が7800円だったのを今でも覚えています。
先日はSteve McQueenとClint Eastwoodの話から501のお話につなげる筈が・・・.
というよりは、そうそう、映画の話から501でした・・・。
あれは、僕が映画オタクだった小学校高学年~中学生くらいだった当時の話ですね。
映画が大好きだった僕は、同時に、音楽的に言うなら「OLDIES」なファナティックだったんですね。。。
これはどれくらいのファナティックなのかと言うと、そう、例えば「Stand By Me」なんかがこのジャンルの曲になってくる訳ですが・・・、基本的に、カラオケ全部ソラで歌えるくらい・・・。
あ、当時の曲なら殆どです。。。。
当然レパートリーは当時のビルボードでかなり売れた曲限定ですが、1955~1965年くらいのアメリカ産のまぁ、当時のアイドル的楽曲に過ぎないわけですが、殆ど、いけます。
どんなカラオケより、僕の頭の方が多く入ってますね。。。
(会社のスタッフなどは耳がタコになってしまってるくらいに聞かされちゃってます・・・汗)
Only You (プラターズ)から、Bill Haley & His Cometsのロックアラウンドザクロック、Beach Boysは殆ど。エルビスなんかも行けます。もちろん、エディコクラン、ラバンバのリッチーバレンツ、Big Bopperは大好き。それにLittle Daring のThe DIAMONDS。。。。
当時まだメディアが限られていた、1980年代初頭から中盤、僕はオールディーズの曲が英語の先生でした。。。
そう、当然ながら、このカラオケな原点の映画があるわけですね。。。
あの、ジョージ・ルーカスのほぼスクリーン製作初め段階の映画・・・。JAWSをスティーブンスピルバーグが撮ったより前。
STAR WARS なんかより前です、、、もちろん。
そう、1960年代を扱った珠玉の青春映画、
「American Graffitti」です。。。
この映画は、、、もう一度見たら僕の場合病み付きで、、、毎年夏になると一度は見なくちゃ気が済まない、この映画で夏が始まり、夏が終わる・・・、そんな映画です。
この映画も「夕陽のガンマン」同様、どこでどの音が鳴る、どういった音楽の入り方をする、、、シーンの隅々まで覚えてる映画になります・・・。
ビルヘイリー&ヒズコメッツのドラムの音で始まり、要所要所でビーチボーイズが当時「ロックじゃない」的扱われ方をしていつつも時代を反映するバンドに育っていった背景なんかを感じ取れ挿入されてた楽曲の数々。最後はAll Summer Longという、夏の終わりを告げるちょっと悲しげで、だけど懐かしげで、甘くて切ない青春の一日の想いでの終わりに相応しいBeach Boysらしい一曲で締めくくられました。
さて、そろそろそれじゃぁ、、、
501と映画、そして僕のつながりを・・・。
このAmerican Graffitti 、通称アメグラ、この映画の準主役にポール・ル・マットっていう俳優さんがいました。
配役的には、「John」っていう、他の主人公の、ちょっと先輩。
ケンカが強くて、すごく早いクルマに乗ってる。
車は '32 FORD、、、通称 Duece Coupe(デュース・クーペ)。
この車、本物の場合、レストアされてるやつだと、5000万円以上はする可能性があります。。。
因みに、黄色いこのデュース、ナンバープレートは「THX138」・・・。
映画なオタクな方にはもうお分かりとは思いますが・・・、
そう、ジョージ・ルーカスの特殊撮影開発会社とでもいましょうか、STAR WARSでの撮影技術革新の転売と研究、、その他諸々する会社の名前ですね。。。。「THX」
それはそれとして、このデュースに乗ったジョンが、、、ちょ~~~、カッコいい!Too Kool!!
そして、このジョンが履きこなすのが、当然ながら「501」
それまで「理由なき反抗」のジミー・ディーンでしか知らなかった501の履き方、
こいつを教えてくれたのが、ジョージ・ルーカスのアメリカングラフィティでした。。。
Leviの501にウェスタンブーツを履きこなす姿は、かなりの衝撃でした。
腕っ節が強く、みんなに頼りにされてる、そう、大学へ進学する勇気がなく、地元の短大で妥協しちゃってる、決してカッコいい存在じゃないのかもしれない、だけど、そこが等身大でなんとも言えず、素直に受け入れられた、いつの時代にも居続けるLocal HeroなJohn。。。
いつまでも大人になりきれない、そんな自分に自ら気がついてて、劇中「まだ事故ったことはない」とそろそろ陰りが見えてる自信無さげな言葉と、エンディングでその後、やはり好きな自動車のドラッグレースで命をふいにしてしまったという「駆け抜けてしまった」青年。
そこには、Jimmy Deanと被る、何か哀愁があるような、何か言いたげな存在として、いつまでも年を取らない「永遠の少年」が見え隠れします。
だから、501も或は、デニムも、永遠なのかもしれません。
そう、当時を少し思い出してみましょう。
あれは、1982年。
当時、表参道にEIKOっていうジーンズショップがありました。
暫く通ってると、当時そこがリーバイスの直営店だったということが分かりました。
今でも思い出すと何かの因果を感じますが、そこの店長さん。
失礼ながらお名前は思い出すことができませんが、衝撃的だったのが、お誕生日が同じ!!・・・だったこと。
有名な方々だと福山雅治さんとか、ボブ・マーリーさんとかが同じなのですが、当時の、たかが中学一年、二年のまだ毛も生え揃わないようなガキんちょだった僕には知り合いでは同じ誕生日の人との出会いは衝撃的でした。
誕生日が同じ、ということで全くその方からしたら迷惑な話だったかもしれませんが、ことあるごとに表参道のEIKOショップに顔を出しちゃぁ色々なジーンズの話を聞かせてもらいました。そう、だけど、この当時、実際501って手に入らなかったんです。日本では。
少なくとも、新品はありませんでした。
当時は505というジップフライ(前がチャックのやつ、ですね)のものが新作のリーバイ・オリジナル・ジーンズで、501は日本には輸入されてなかったんです。
僕はそれでも501,501,501、シュリンク to フィット、実際のサイズより2インチくらい大きなのを選ばないといけないんですよね、、、等とと連呼していたので、それじゃ、本社に聞いてみてあげるよって言ってもらうまで通いました(汗)。
当時30歳くらいに見えた表参道EIKOの店長さんは、お兄ちゃんみたいな印象を持ってます。未だに。
その店長さんによれば、
「今は日本じゃ501なんて旧い、時代遅れなものは入荷しても売れないから、正式には輸入はしないんだって」
そんなニュアンスの答えが返ってきました。
だけど、同時にこうも添えてくれました。
「どうしても欲しいっていう子がいるから、一本だけ、入れてくれませんか?って聞いたら、オッケーだってよ!!」
・・・そのときのパっと明るくなった自分の表情は鏡はなくとも今でも想像できます。
それから、多分一ヶ月ほどしてから、家に電話がかかってきて、土曜日、学校が終わるとすぐすっ飛んでいったのは言うまでもありません。
当時は1本だけしか入荷してないから、値段がつけられないってことで、「505と同じ値段でいいよ」って言われた金額が7800円だったのを今でも覚えています。