夢うつつに今朝思ったこと。
孫のお家に行くと必然的に【お母さんと一緒】をみることが多くなります。
その中で、何となくいつも気にかかるのが小さな子たちがみんなで、歌のお兄さんたちと踊ってるシーン。
必ずいますよね。
困った表情で、なんでここにいなきゃいけないんだろ~と戸惑う子。
傍観者的な子。
泣くでもなく…何処か困ったような瞳。
顔は真面目になんとか周りに合わせ踊っている子。
あぁ、HSCじゃないのかしら。
お母さんは良かれと思って応募しても…きっと大勢で知らない子たちと遊ぶのは苦手だし嫌だよね。
自分の子ども時代を思い出します。
隅っこで砂をほじったり、積み木やブロックで遊ぶ方が楽しいタイプだったので、はしゃいで騒ぐ子たちとは自分はなんだか違うんだなぁと幼い頃から気付いてましたが。
先生とかにふざけて抱きつくとか…わっ、凄いなぁ、なんでそんな事できるんだろう(私は嫌だなぁ)
そんな、ひとり遊びで楽しめるタイプの子に…無理に大勢で楽しむことを体験させようとしても…楽しくないですし、ますます苦手になります。
いろんな人の気持ちを読み表情なども無意識のうちに気にかかってしまうので集中できないんですよね。
アウトドアも気心の知れた数人で楽しめたり、1人でも楽しめるタイプのものが好きでしょうし、スポーツもしかり。
チームものよりは個人で楽しめるものがどちらかというと向いているでしょう。
でも…お母さんに、これ出てみようよ、楽しいよって言われたら『嫌だ』とは言えずに頑張って楽しんでるフリしなきゃとかなりやすいのも ひといちばい人の心にも敏感なHSC。
でも…浮いてしまうような感覚がついて回って辛いのです。
我を忘れて楽しむ事は知らない人が大勢いる中ではなかなか難しい。
本読みやお絵描きなら没頭できるのに…。
無理した場での体験が増える程に…
やっぱりみんなと同じにできない自分は駄目なのかな…と自己評価が下がってしまいます。
また心無い身近な人が「元気いっぱい遊ぶのが子どもらしさだ」「発達障害(この言葉は嫌いです)とかじゃないの?病院に行ってきたら?」などと悪意なき棘を吐く事も多々あるでしょう。
しっかりその子と寄り添ってみつめてからの言葉ならまだしも…。
まだまだ枠組み思考の強い日本…。(他の国を知りませんが)
人見知りや引っ込み思案に見えてしまう用心深い気質の子であっても、まず特性を伸ばし磨き自身がつけば自然と少しずつ体験を増やし、大勢の中でも楽しめる事が増えていきます。
焦らず、その子らしい花を咲かせてあげて欲しいなと感じます。
私たちは皆、他の誰かになる必要などないのだから。
お庭の薔薇はお庭の薔薇のように
野に咲く野薔薇は野バラのように
同じ人であっても1人として同じ個性などはないのだから…
因みに…個性的という言葉
首都圏に近い方が褒め言葉に近く、地方だと浮いてるね的なニュアンスを含むとか。
まぁ…私も地域密接した場では過ごしにくい個性を持ってますので何となく理解できますが…。
多くの地域でマイノリティにも寛容な世の中であることを願います。