ペタしてね



どんどん記憶の奥深くに沈む日々・・


今ある幸せをしっかり考える為に・・DVで苦しんだ結婚生活から、なんとかいま落ち着いた日々を送れるようになった今までの日々を振り返ってみようかと・・


思い出しながら少しずつ・・



阪神大震災の前日。


それは初めて家を出る決意をした日。車の鍵も、現金も取り上げられていた私は、ベビーカーに乗せられるだけの子供達の着替えを詰め込み・・かえってくればまた暴力、暴言・・もう耐えられない・・・。

そしてその前の日帰宅した元旦那が「まだいたの」と冷たく言い放った言葉をかみしめ・・・・・家を後にした。

とにかく怖かった。

もう夕暮れもまじか・・・ 子供のための郵便通帳握り締め・・もうひきおろせる時間でもなく・・・・・まだ当時1歳になったばかりの次女をおんぶして子供達と歩きつかれビジネスホテルに事情を話し一泊とめてもらった。出してくれたおにぎりが涙の味がした。

そして翌朝ホテルのテレビをつけたら一面の火の海で・・・・ ・衝撃的な映像でした。そして少しばかりのお金をおろし市役所に向かったあの日。


そして、その日のうちに母子寮のあるゴルフ場へ。

キャディ見習いの日々が次の日から始まった。

寒さ真っ盛りの中、当時の市役所の人たちはいい人で食器や防災ずきんやあちこちから集めてもってきてくれた。

朝早くからの仕事で託児所に迎えに行くと嬉しそうにたったり座ったりの次女の姿が今でも目に焼きついている。

長女もけなげに託児所で楽しそうに歌をたくさん歌っていた。

長男はこの日々の事もまだ覚えているが下の子達はほとんど記憶には無い。

長男は苦労を一杯覚えているから私に優しいんだろうな。

日が暮れると真っ暗な土地での生活。

ゴルフ場にはリスが走ってたな。

サルの親子とかも良く見かけた。あっという間にこのときはスリムになったよ。

苗字も変えてもらって・・・なのに・・・信頼すべきところから私の居所が漏れてしまった。5年間姿隠せれば別れられたはずなのに・・・このときは数ヶ月であえなくつれ戻された。

まだDV法もなく・・・逃げ切れなかった。 そしてもう2度と暴力は振るわないとの言葉に・・・


変わるわけないんだよね。簡単には・・・・・ 暴力よりも何よりも一番哀しいのは・・私に両親がいないことでなじってくること・・・かえようがないじゃないね。親の顔がみてみたいよとかいわれてもね。


それでも子供達のためと信じがんばったんだけれど。


結婚してから旦那は5年間働かなかったんだ。私は長男背負ってビジネスホテルの布団とかたたむ仕事したり・・・長男はかなり重く今でも私の肩は負ぶい紐の後が少し凹んでいる。

そこも前借とか頻繁にさせられるので首になり・・・・・もう食べるものも買えなくて・・ふと見つけた看板。。クラブでのホステス募集。

いきなり面接に行った時に前借して、ストッキングと食料かった覚えがある。

まだ長男が一歳半ぐらい。数年そのクラブで働き家族を養ってたっけ。まだバブル真っ盛りの頃でまばゆいドレスを身にまとい黙っていても様になった若い頃だから出来たんだよね。

不動産屋さんなんてお金ばら撒いててまじ、配って歩いてたよ。

ママたちも毎夜、ホストクラブだお寿司だ・・ 後おかまバーかな。まだ今ほど綺麗じゃなかったけれど・・かなりステキな人たちがお店に遊びに来てくれて逆におつまみとか取ってくれて優しかったな。

夜の子たちも案外皆優しく服の無い私に今では絶対着れない派手派手スーツとかたくさんくれた。

私は食べるものにも困る状態で働きにでたので当然ちゃんとした服もなかったし、あったかだったな。

出稼ぎで働きに来て上司に連れられてきてる若い子は純情で、よく帰省してから土地の美味しいものとか送ってくれたな。

あんな人と一緒になったらちょっと違う人生だったかもね。

当然子供のいる私は毎日定時にしっかり帰ってて美味しい思いはそんなには出来なかったけれど・・・ 毎日歌えたし楽しいといえば楽しかったかな。化粧バッチリしてロングの髪をゆるーくウェーブさせて。今とは大違いだぁ。


でも基本対人恐怖症気味の私にはかなりのストレスだったけれど・・ まだ若かったからあまり喋れなくてもなんとなく許されていたのかもしれない。

会社の接待が多い時期でそんなに変な人もいなかったし、たまにいてもアルバイトのボーイさんとかがさりげなくかばってくれたり。


ただたまに旦那が来て、お客さんと笑ってたとかで殴られたりしたのには 閉口した。当時旦那のほうの子供も2人いたから・・・夜働いていても朝も普通に起きなきゃいけなかったし・・・・。まだ当時は育ててくれた人たちが生きていたから、私が逃げれば迷惑かかって血の雨が降りそうだったし・・ で、もうこれ以上働かなければ覚悟決めなきゃと思った頃に旦那は働き出した。

それからがまた地獄だった・・・今まで散々遊んでたのに・・・俺の稼ぎで食っているのはダニだとかいうし・・・かといって仕事することも急にみとめなくなって・・・・・こっそりバイトとかしたけれどね。

でもある日酔って小鍋を私の顔めがけて投げてきた。

当然顔はお岩さんじょうたい。

自分でもかがみ見るとわらえるぐらいこわかったな・・・・。そのとき私の中で何かがはじけた気がする。

その頃からバイトのお金でジムに通いだした。

エアロビクスで汗びっしょりかいているうちに、まだまだ私はがんばれるかもって思った。

もう初めて家を出た日から5年たっていた 毎日けなされ自信喪失していた日々の中・・・ジムが私に自信をつけてくれた。


続きはまた・・・