「故郷」とは、人を弱くもし、強くもする。帰りたいという願望と、帰ってはならないという理性が、混在する。

いつもそうなると、敢えて自らを新たな場所へ移動させることで、「帰郷」することを無理矢理拒んできた。

新たな「故郷」を探していたのかも知れない。しかし、最初から、2003年から、「故郷」なんて一つしかなかったのではないか。いくら誤魔化しても、そのことに変わりはない。

私は、「故郷」よりも「物語」を選択した。今更帰郷する方法も知らぬ私にとって、「物語」の化物はまた、嘘で固めた「故郷」を創造するだろう。帰郷本能をただ塗りかえるしかないのだろうか。その意味においての「物語」に生きる決心が未だつかない。
夭折した親友の本ができた。表紙の後姿を見て、懐かしさに微笑んだが、すぐに呻いた。

"keep going"

という言葉が、その追憶本の中に書き込まれているが、まさに、行動の人であった。感化されずにはいられないその行動力は、活躍の場を人生で三度変えている。四つの国の旅路の、二つ目で三年間、三つ目でほんの十日ばかり、共にした。
私にとって、魅力に溢れている人だった。沖縄を好きになったのは、今思うと彼への憧れがあったからかも知れない。

何故、彼が、という思いが今でも拭えない。生きるとは、何か。死とは、何か。死者に変わり私に出来ることは物語を紡ぐこと以外にはない。生きることと、書くこと、それが私の方法であろう。

"keep going"

それはまた、物語を輪廻させることである。生を輪廻させることである。
そうしてやっと、本を開き、彼の想いを直視できる。書かなければならない。生きなければならない。