今年平成30年。
平成元年に「この先もずっと15歳のままでいたいです」と言った少女は、平成16年に男の子の母になり平成30年5月母親として15年目を迎える。
平成元年に「この先もずっと15歳のままでいたいです」と言った少女は、平成16年に男の子の母になり平成30年5月母親として15年目を迎える。
昨年引越しをした際に要る物と要らない物とを分けた。物を減らす努力をしているが未だに捨てられないのはダンボール一箱分にもなる手紙と昔から書いていた日記。纏めてあるこの一箱は自分が死んだら開けずに捨ててくれればいいと思っていた。
時を隔てて先日のこと。1学年が終わったのをいい機会と思い、息子の荷物の整理をしようと本人を誘ってみた。纏めて仕舞った筈の日記や手帳が思わぬところから出て来た。それまでやる気無さげだった息子は急に瞳を輝かせて
「読ませて。読ませて。どんな事が書いてあるのか読みたいよ。」
とせがんだ。私は読まれても大丈夫な代物だっただろうかと一瞬怯んでしまった。確認のため恐る恐るそれらを開いてみることにした。
「読ませて。読ませて。どんな事が書いてあるのか読みたいよ。」
とせがんだ。私は読まれても大丈夫な代物だっただろうかと一瞬怯んでしまった。確認のため恐る恐るそれらを開いてみることにした。
中高生の頃の日記には、誰と目があったとか、友だちとの恋愛話、親との喧嘩や叱られた事への言えなかった本音が書かれていた。この日記の中の私と同じくらいの歳になろうとしている息子。日記の中の私と同じように、恋をして相手のことばかり考えてしなくてはいけないことから外れて親をやきもきさせたり、早寝した方がいいのに夜更かししたり。そんなことをした時にも温かい目で見てやりなさいよ、自分もそうだったでしょう、と諭されている気持ちになった。
高校の時感銘を受けて結婚の時も引越しの時も捨てたくない物の部類に残った、現代文の教科書も見つかった。中には細かい字で『舞姫』の主人公の心情の変化を記したメモがあり、またその教科書には何故か採点された化学のテストの答案用紙が挟まれていた。息子はサッと答案用紙を横取りし、
「え、お母さん、本当に頭が良かったんだね。化学記号書いて計算式も丸がついてるじゃない。」
と驚いた顔をしている。時を経て勉強を真面目に取り組んでいた物的証拠になるとは思いもよらなかった。
大学の頃の手紙のやり取りは短大時代からの親友からのもの、当時付き合っていた人からの恋文、恩師からの年賀状なども見つかった。こうしてみると、文を認める時間の愛おしさもさる事ながら、私に思いを巡らしてくれた人たちの気持ちと時間にも愛おしさを感じた。
息子が生まれてからのメモ帳も見つかり、毎日ではないから日記とは言えないが、覚えているようで取り零している日々の何気ないけれど幸せで大切な時が、その時の気持ちと共に確かに存在していたのだということを改めて感じた。
2014年10月20日月曜日
孟、10歳。成長中。
今日、孟は泣いた。
「やっぱり言っておこうかな。」
と。何かと思ったら、友だちと喧嘩した、というか意地悪をされたらしい。友だちが孟にボールを渡さなかったり、それを見て別の友だちが笑ったり、孟がみんなに追い付けなくて泣いて喧嘩になったところを知り合いのお姉ちゃんに止めてもらったのだそう。
「でも、夕方はその喧嘩相手と遊んでたよね。何で嫌
な事されても遊ぶの。」
と、自分だったら絶対にそういう子には近寄らないので聞いてみた。
そして
「一緒に遊ばなきゃいいじゃないの。」
と言うと
「遊びたいんだよ。」
と言う。この問答を3.4回繰り返し、急に「あ。」と気が付きました。親って、大したことをしてあげられないんだなという事、そして子は自分とは「違う考えの持ち主」なんだという事に。電話が入って一次中断し、そのおかげでお互い冷静になれた。私が料理を作っていたら孟がやってきて、いつもだと怒られると萎縮して何も言えなくなる子なのに
「ぼく、それでいいと思ってるんだよ。ほら、前はトシオくんとも龍と虎みたいだって言われるくらい喧嘩してばかりだったけど、今は違うでしょう。それにぼくも喧嘩で手を出しても友だちが許してくれたでしょう。だから変われるって信じたいの。それに決めている事もあるよ。先に手を出さない。それと、女の子には手を出さない、我慢する。ね。また同じ事された時にはぼくも考えるよ。」
と諭されてしまった。「あ、この子は成長しているんだな。」と思わされた。
「お母さんは孟のお母さんだから、また孟が傷付く事があるんじゃないかなって心配だし、やっぱり自分の子どもが大切だから、また同じような事が起きないだろうかとか、傷付かないで欲しいと親だから願うし、やったヤツのことは嫌いになるし、同じことしてきたらお母さんが許さないから。」
と話して、
「でもさ、何もアドバイス出来ないし、聴くくらいしか出来ないね、なんかね。」
と私が言うと
「お母さん!」
と抱きしめてくれて
「終わり良ければすべて良し、だよ。」
と、
「お母さん大好き。」
と言われました。
息子の成長と私というか親の無力さとせめてで来ることを挙げるなら話を聞いてあげることなんだなと感じました。
と日記には書いてある。
可愛らしいエピソード。人として大切なこと。子どもの成長。その時感じた気持ち。書いて残すことが、「戻らない時の大切な宝物」になっているのではないか、それはどんなに社会や技術が発達しようとも、自分にとっての実体験であり、その瞬間の気持ちはその時にしか表せないし、自分の感じ方は別の人とは違う。また、同じ自分であっても、歳も変われば立場も変わる。自分の感じ方もやはり変わるのだ。そしていくら時を経ても変わらないものもある。枕草子を書いた清少納言然り。徒然草の吉田兼好。
今でも春はあけぼのは素晴らしい感性だと思うし、徒然草の頃の不安定な世の中を手探りながら必死で生きていた人たちと自分を重ね合わせてしまうこともある。有名になりたいのではない。ただ、あのときこんな事が起こった、あなたがこんなことを言った。そのとき私は考えて行動した。ただそれだけのこと。だけれど真剣に考えて真剣に向き合ったその事だけは事実である。そしてそれを残すことは、単純に自分の思い出ともなるし、記録としても残る。そればかりでなく年老いた自分の若い頃を振り返る楽しみにもなれば、いつか誰かの役に立つのではないかとも思っている。