ようやくブログに書こうと思えるようになったんだね。
2月23日の夕方に父が亡くなった。
23日は祝日で、お昼から麻雀に出かけて夕方帰宅して、それから血糖値を測ったらしい。
そのあと、夕飯の晩酌前、17時ごろにお風呂に入ったまま、そのままいってしまった。
いつもしていた数独の本もお風呂に持ち込んだまま、眠るようにいってしまった。
母は、夕飯の支度もあらかた終えたのにお風呂から戻らない父を18時ごろに湯船で見つけて、119番と、沖縄に出張中の兄に電話し、そのまま救急車で同行して、病院で死を告げられた。
私はそのあと20時ごろに兄から連絡をもらった。
うそ?
ホントに?
何があったの?
と言ったのは覚えている。
今は何をしなくてはいけない、ということはないんだな。
とりあえず髪の毛と身体を洗ってお風呂を出ようと思った。やたら自分の動作が他人のように思えて変な感覚だった。
夫は茫然としていた。
お父さんてどこのお父さん?
それからガックリ肩を落として、ため息をつき、それまで床の傷をパテで埋めていた作業をまたゆっくり再開していた。
次の日(23日)には実家に戻りたかったが、通夜が24日、お葬式が25日と決まったので23日は子どもたち、私たちの荷物の準備もあり、24日の朝、車で出発した。
こんなに気の重い帰省はない、と思った。
対面したくない。
ここから先は数日間、早送りして収まってしまえばいいのにと思った。
高速道路の緑の看板の地名が実家近くなっていくのを目だけで理解しながら、ずっとずっと小さな頃からの父との思い出、いい思い出も、そうでない記憶も、とにかくずっとずっと頭の中でゆっくりと自分の考えだけに浸っていた。
時々涙ぐみながら、でも、どうしてもホントとは思えなかった。
ただ、真理子さんにだけはどういう心構えで行けばいいかについて聞きたかったので、LINEした。
そしたら夕方にお返事をいただいた。
亡くなったばかりだったせいか、
まだ成仏出来てなかったのですが、
すぐに状況を理解して、
光に向かいました。
大きな白い光の道でした。
「オレは大丈夫だ」
とおっしゃってました。
そう
伝えてほしかったみたいです。
多分、ご自身は何となく、亡くなることを
わかっていらしたんじゃないでしょうか?
はじめ、私の左足がとても痛かったですが、光に送ったところ、私の足も痛くなくなりました。
お母様は、心配ですね。
ハートに大きな穴が開いてしまっています。
(私)さんもお母様もとっても寂しいかと思いますが、
お父様は素敵な生き方を見せてくださった方で、
その方のそばに居られて、とても幸せでしたね。
お疲れ様でしたと、
ありがとうございましたと伝えて
どうぞご自身の進むべき道進みくださいと、光の中にいるお父様を思い描いてください。
困ったときには、間違いなく、いつでも助けてくれますから^ ^。
それからまた後ですぐにLINEのメッセージをもらった。
もう一度、
お父様
いらっしゃいました。
(私)さんは手のかからない子だったとおっしゃってました。
そして、人生は、短いから、
色々なことにチャレンジしなさい。
と、
また、
お母さんの面倒を見させている事も分かっていたと、
負担にさせて、悪かった、とも、おっしゃってました。
でも、これからも、気にかけてあげて欲しいと、お母さんのことよろしくとおっしゃってます。
愛情深く、
明るい方ですよね、
かっこよく、ダンディーなのに、
ちょこちょこ、
可愛らしい姿を見せてくれます。
光に進むときに、
平泳ぎみたいな、格好してみたり。
ぷっと、笑ってしまいました。
多分、体が重かったのかもしれませんね。
すごく体がなくなって楽になったみたいです。
とにかく、
お父様は、大丈夫ですから。
(私)さん、
しっかり。
いつもの(私)さんでいれば大丈夫ですよ。
これは絶対父だと確信した。
人生は短い、というのが父の口癖だったから。
それに、私に母の面倒を見させていることも分かっていたんだ。
というのも。
真理子さんのこのメッセージのおかげで私は、
父の身体は死んだけど、魂はまだいて、次のステージに進んでいるんだ、とはっきり分かった。
お葬式では父をしっかり送り出そう、感謝を伝えたい、という気持ちになることができた。