通夜でもお葬式でも母は不安定だった。

周りの親戚たちが、母の悲しみようを見て涙を誘われていた。

事あるごとに父の側に行って、

お父さん、なんで先に行ったの、私を連れて行ってくれないの。

こんなとこに寝てないで、こんなのおかしいよ、私のところに帰ってきてよ。

ずっと待っててよ、私が行くまで。

どうして置いてったの。


泣きながら語りかけていた。

通夜に向かうために棺桶に納める際も泣き崩れて取り乱していた。

お葬式に来てくれた人たちも、みんな口々に母のこと、残された家族のことを心配して声をかけてくれた。


私は真理子さんからのメッセージをもらってから、父の魂がまだ生きていることに安心して、そして、母のこともあるので冷静に周りを見ていた。

お通夜はセレモニーセンターで泊まり、翌日はそのままお葬式だが、朝起きた時から左の腕から指先までがずっとピリピリと静電気があるかのように感じていた。

いまだによく分からないのだが、もしかしたらエネルギーのようなものなのかもしれない。


遺された家族にとってはあっけなくお通夜やお葬式は終わってしまう。

亡くなって数日で、全く気持ちはついていかないのにさっさと骨壺になって帰ってきてしまう。

所在なくて、もうどうしていいか分からなくなってしまう母。

幸いなことにお葬式の後からは近所の方々と、父のかつての取引先の方々がお参りに来てくれたので一日中バタバタしていて悲しみに沈む暇がなかった。

私はこれまでしてきたように、母を支えようとずっと母の側にいた。

子どもたち、夫はごはんがなくても、黙ってテレビを見たり、ゲームをしたり、在宅でパソコンで仕事していた。

私はずっと母といて、ずっと母と話をしていた。

夜は子どもたちと私とで父と母がいつも寝ている寝室で休んだ。

昼間は弔問客で忙しいし、夜は兄家族がやってくるので疲れているだろう、でも、母は気が立っているのか、夜は夜でずっと話しかけてくる。

父が自分といたことが不幸だったのではないか、が母の話したい話題なのか、とにかく過去の夫婦生活について振り返り、繰り返し繰り返し、当時の父が何を考えていて、自分が何を言われて傷ついたのか。

ずっと話していた。

そして時折、私に、これから自分といかに距離を詰めて世話をしてくれるのか打診するようなこともあった。

私は遠くに住んでいるから、母の思惑通りにはいかないのだが。


フンフンと相槌は打っていたが、半分受け流していた。

ただ、母が

兄は仕事があるから、(私)が頼りだし、近くに来て世話してほしい的なことを言ってきた時には腹が立った。

母は前から感じていたがやはり田舎の長男信者なんだ。

長男は奉り、嫁に行ったとしても娘は世話係。

そんな認識なんだな、と思った。

母もそうやってきたから、自然にそんな言葉が出てくるんだな。


分かってはいたが、もう夜中で眠かったし、散々話した後だったので

私も仕事してるでしょ。

兄ちゃんならダメで私ならいいって、私をバカにしてると思うよ。もういいわ。

と言って、そのあとは寝た。

母は私にそう言われても、顧みる事なく、めげずにまたループ話に戻っていく。

全く人の言葉は耳に入らないんだ。

自分の悲しみ、自分の、自分の、いつまでも自分なんだな、この人は。

と思った。


ただ、今でもこの時の事を覚えているのは、私がはっきりと自分の意見を伝えて、断ったから、だ。

冷静に淡々と、自分の思った事を伝えることができるんだな、と自分に少し驚いたのを覚えている。

この時の自信のようなものが後々また役に立つというか、生きてくることになった。