24.25日は京都に行った。
一緒に行った友人は、とても素直で感情表現が豊か。
思ったことはストレートに言うので、バンバン物言うと同時に裏がないというか、腹黒くない。
何となく感じていたことだが、私は自分の気持ちと、外の世界の間に余白のようなスペースがあって、どう処理していいか分からないことを一旦そこに置いてみたりする。
何か思いもよらないことを言われた時には、一旦その余白に置いて、何を言われたのか、それが何を意味するのかを後から落ち着いて吟味しようとしている。という感じ。
そういう事をやっていると時間が経つので、昔から、反応が遅いし、ストレートに自分の気持ちを言わないところがある。
その場で即座に反応しないので後からあの時これを言えばよかったなどと思い返しては悔しがっている事が多い。
すごく嫌なことを言われたのに何も言わずに終わった時など、後から何度もその場面を思い返しては、今ならこう言ってやるのに!!と思っている。
友人はそのような事がないので、逆に言い過ぎて後悔していることもかなりあるらしいし、確かによくケンカしているが、自分の気持ちと言ってる事がストレートに一致してるなんて、気持ちいいだろうなーと思った。
京都で夕飯を食べていた時、その友人と別の友人とで私の余白の話になった。
もう1人の自分と話す場所、なんて、ないって。
ない??
まさか!
と思ったけどさ。
自分が基準になって普通だと思っていたから、みんな余白があるのだと思ってた。
ないのか。。
ない方がスッキリしてて明快に生きられるんだろな。
と思った。
今朝、グラウンディングしてる時にふと思った。
私が余白を作ったのは、外の世界が怖かったからかもしれない。
一旦余白に気持ちを置くことで、一旦現実逃避してる、、面と向かって向き合わなくていい。
怒られなくていい。
怒られるのが怖かったのか、
嫌われるのが怖かったのか、
とにかく外の世界を信用してない私がいるんだろうと思う。
ヒーリングで、いろいろな私を癒してきたし、がんばってきた。
少しずつ余白をなくしていってもいいんじゃないかと思った。
私は常に自分をギリギリまで追い込まないようにしてきた、部活でも勉強でも。
自分の限界を知りたくない、出来なかったらどうしよう、出来ない私は認められない、、
の恐れがあるのだろうと思った。
これって余白と同じではないかもだけど、根っこは同じなんじゃないかと思った。
6月頃、仕事でめちゃくちゃ忙しくて追い込まれていた時、私はそんな恐れを感じている暇もなくて必死にやっていた。
その結果、周りからも応援してもらえたし、理解者も増えたし、絆が出来たように思えた。
何となくだけど、そういう事なんじゃないかなと思った。
余白を作らずに一生懸命やることで、周りは応援してくれるんじゃないかって。
だからこれからは心の余白も、追い込まないように余白作って行動するのも、なるべく少なくしていこうと思った。それが真理子さんの言う、今を生きるに繋がるんじゃないかと思った。
文字で書くと長くなったけど、、今朝ふとそう思った。