今年2月にとてもお世話になった叔母の葬儀があり

叔母のことと、改めて老いた父の姿を見てショックを受けて急に心配になり落ち着かなくて

息子が生まれてからは年に数回会うくらいだった一人暮らしの父の顔を

多いと週に一回ほど、見に行くようになった。

 

今振り返って思うと 優しさや親孝行というより強迫観念みたいなもの?

色々と後悔したくない。生きているうちにとか

息子に出来なくなったことの代わり?

自分の寂しさから?現実逃避?

心配といいつつ自己満足だったのかな。

 

でも弱音や愚痴を聞かされたりすると

息子は辛い闘病頑張ってきたのにとか

趣味で出掛けた話を聞いてまだ楽しいことできるのにとか

父は何も悪くないのに

息子と比べ複雑に思ってしまい自己嫌悪

聞き流すように努力してたけど毎回すごく混乱した。

 

その積み重ねもあったり

命日、新盆までは何とか自分を保っていたけど

それを過ぎたら一気に体も心も無理が出来なくなって

どうしても気力がわかず体が動かない日も多く また長距離の運転も怖くなって、それから行かないとと思いながら全く行けなくなってしまった。

 

もう数ヶ月経ってしまった。

電話とかもそれまでのように出来なくなった。

娘が色々世話してくれるようになったと期待させてしまったのに。

近所の仲良しの人にまで喜んで話してた。

悪いことをしてしまった。

 

先日久しぶりに電話で話した時

叔父たちと集まろうって話してると聞かされ

咄嗟に「私は行きたくない。無理だよ(今辛いから)」と我慢できなくて少し涙声で言ってしまったら

慌てたのか

 

「いつまでもひきずってんなよ。」って言われた。

 

いつまでも??

ひきずるって。。。何??

 

頭が真っ白になったのと

言ってもわからないだろうと思うから何も言えなかった。お互い傷つくだろうから。

 

数日経ってもこの言葉と

さらに発展して周りの人たちとの距離感とかを

ぐるぐる考えてしまう。

どこまで何をどのように話していいのかまたわからなくなる。

 

父はそこまで深く考えて言ってない。

私が重く受けとってしまうだけ。

お調子者の父だ。

心配?親心?励まし? だ。

臆病なところもある父を支えてくれる妻(母)もいないし、心配かけないよう闘病の詳しいことも言ってこなかったし

息子も私もどれだけの思いをしてきたか知らない。

父にも大丈夫そうに振舞っていたから自分が悪い

急に私が心配したり来なくなったり振り回されたという気持ちもあったから出た強い言葉かもしれない。

 

父も妻を早くに亡くしてるから少しはわかってもらえるかなと

どこかで甘えてたんだなとわかった。

ショックだった。

さらに電話もかけづらくなってしまった。

今は自分のことで本当に精一杯。

また言ってるくらいに思えるようになれるかな。

切り離して割り切って

娘として後悔ないようにやっていくしかないと思った。