わたしの妹 | アイリッシュの彼と新生活 in Sydney

わたしの妹

わたしはひとつ上のおねえちゃんと二人姉妹です。

名古屋で知り合った、彼の転勤で横浜に住んでます。

最近仕事を辞め、いまタイのサムイ島に旅行に行ってます。(うらやましい。。。。)


もうひとりSisterと呼んでるのがオーストラリア人のVita。

彼女はわたしのおねえちゃんの高校の交換留学生として、

約17年前に1年間日本に留学して、

その間の半年我が家にホームスティしてました。


去年結婚して、わたしとおねえちゃんはブライドメイドをして、

ハネムーンに日本の我が家に来ました。

そのときわたしはまだオーストラリアにいたので、

たくさんの人が我が家に集まって、かなりの料理の写真が

日本食に飢えてるわたしの元に届きました。。。><


他に、わたしのファミリーがパプアニューギニア(PNG)にいます。

二十歳のとき、オーストラリアで知り合った日本人の人が

PNGで青年海外協力隊として理科を教えてました。

PNGという国を知らなかったわたし。。^^

オーストラリアケアンズからたったの1時間ちょっとでつく秘境の国です。

そんな国にいる人と知り合い、このチャンスを逃すまいと

3週間も居候しに行きました。

PNGはすごい国です。

みんながのんびりしてます。

暑いです。

水道から出る水は雨を貯めた雨水なので、

雨が数日降らないと水がなくなって、単純に水切れです。

そういうときは川に洗たくにいきました。

雨が降ったら外でシャンプーしました。

喉が渇いたら、木に登ってココナッツを取ってくれました。

ペットとしてマーケットで買ってきてくれたサルのような動物を、

毎日バナナをあげてかわいがってたら、

村にいったとき、朝食になってました><

そんな国と人が大好きになって、合計4ヶ月PNGに滞在しました。


そのときの近所のTina ファミリーは協力隊の人がお世話になったファミリーです。

わたしもすごいお世話になりました。

PNGは大家族で、大黒柱1人の下に血のつながってる家族から、

つながってない近い家族が集まり、生活しています。


わたしがいたときはデジカメとビデオを見たことがなく、

自分が移ったのをうれしそうに子供たちははしゃいで見てました。

わたしが残したジーンズも、1年後に戻ると

真っ白なズボンになって、それでもまだ来てました。


その家族の一人を日本にいっしょに連れて帰りました。

エレベーターの存在も知らず、

自動ドアも見たことがありませんでした。


そんなPNGのTinaが昨日Facebookに入ってメッセージをくれました。

びっくりです!

Tinaのお兄ちゃんWaiとChrisは首都にいるので、前からネットで連絡をとってました。

それが、あの島にいる13歳だったTinaが、なんと携帯からFacebookをやってるんです。

いま銀行で働いてて、もうすぐ彼のいるところに引っ越すそうです。


ハイテク国日本出身のわたし。

アイルランドで無職、携帯不所持


世の中は進んでるのに、なぜかわたしは後退してる?????