2022年4月末
翌日の朝
1度帰った旦那と両親
手術の立ち会いにまたきてくれて5分くらい話した。
看護師さんと手術室へ向かった。
手術台に寝て。
色々装具がつけられて。
麻酔の説明を再度されて。
そこから記憶がない。
頭を開いて腫瘍を切った瞬間、血が止まらなくなり脳出血を起こしたのと同じような状態になり。
何もせずそのまま閉じた。
あたしはここから2か月意識がない。
看護師さんから、眠っている間に使ったであろう
洗い流さないシャンプー
口腔ケアシート
オムツ
褥瘡クリーム
などの残りが渡された。
2か月寝たきりだったのに
褥瘡は1か所もできなかった。
看護師さんありがとう。
ここからは私自身は意識がないので
後に旦那から聞いた話。
旦那と医師の会話の録音。
1時間以上話してるのもあった。
意識がない間に、2回目、3回目の手術が終わっていた。
40度の熱が何日も続いた。
寝たきりによる廃用症候群になった。
仕事でよく見てたし聞いてた。
自分がなるんだ、、
あと1週間、目を覚まさなかったら気管切開する同意書を家族が書いていた。
気管切開の同意書、説明書を後から発見して
「これ何?」
って旦那に聞いた。
今声が出せて良かったと思う。
やらなくて良かったと思う。
家族はこのまま目を覚まさないかも。
そう宣告されたらしい。
この録音も聞いた。
必ず旦那は急性期に行く時、スマホの録音機能をONにしてくれていた。
これの録音を聞いた時は。。
助かって良かった
なんて思わなかった。
そのまま死ねば良かったのに。
なんで意識戻ったんだろう。
戻った自分を責めた。
生きていたくなかった。
気管切開の手術に入ろうとした時、自発呼吸が確認できて、私は目を冷ましたらしい。
5月が終わり。
6月も終わっていた。
7月頭に目を冷ましたらしいのだが。
この辺の記憶は全くない。
2か月の間に見た夢と現実がごちゃごちゃだった。
何となくたん吸引が苦しかった、鼻から栄養を入れていて、週1で交換される鼻が痛かった、途中からバルーンもおむつも外れて車椅子でトイレ連れられてた、と覚えている。
この時、右半身麻痺になっていて。
家族は皆知っているが、あたしは全く覚えてないし、理解できてない。
8月上旬
この辺から所々記憶がある。
自分の右手が動かない事。
右足が動かない事。
1人でトイレもお風呂も行けない事を知る。
…あー、あたし片麻痺になったんだ。
…ふーーん。
多分、これが感想。
右耳が聞こえないこと分かってない。
左耳で聞いていたし、そもそもそんな会話してない。
電話もまだ出来ないし。
右の顔面神経麻痺も分かってない。
まだ、難しいことが考えられなくて。
ケータイも使えてない。
コロナ2類で面会もない。
あたしは毎日、医療従事者としか会話してない。
家族と話したのは4月末の手術行ってきます!
が最後。
ハゲてるなぁ💧💧
あたし全く覚えてないんだけど。
家族が荷物を持ってきてくれた時に
窓越しに面会した。
看護師さんに支えられながら、窓の所まで歩いたみたい。
約3か月ぶりのあたし。
後から画像貰ったけど。。
あたし知らない💧
お母さん窓越しに大号泣してたよ
って後から旦那に聞いた。
「えりなが動いたー」
だって。