血圧が60位になってきたと
連絡を受けて会社を早退して
午後3時頃に病院に到着しました。

弟家族、孫も到着。

その頃は血圧も100位に戻り
少し見た目は落ち着いている
ようでした。
オシッコの記録シートを見ると
昨日からもう出ていません。
便はずっと出続けています。

結局その日はそれ以上血圧の低下もなく
一度みんな家に戻りました。


翌朝6時半、病院からの連絡で
駆けつけました。

駆けつけると、このまま血圧も
下がっていくでしょう。
 脈も触れなくなってきています、とのこと。


看護師さんが「モニター置いてると
気になって数字ばかり見てしまうから
これは外していいですか?」と
言ってくれました。

みんなでゆっくりこのまま
看とりましょう、、、と。


午後には手の指先、足の指先が
紫色になってきたのでみんなで
マッサージ。

呼吸も変わってきた。


ちょうどその時遠方にいる
母の妹から電話がありました。
入院してすぐ来てくれたから
あとは亡くなってから連絡しようと
思っていたのでびっくりしました。



『今どうしてる?』っと。

虫の知らせなのかな。
昨日から電話しなくちゃと
思ったようです。


それから弟たちが少し病室を離れた時、
看護師さんが飛んで来て
「もうまもなく呼吸も止まるでしょう」と
言われあわてて呼び戻しました。


全員病室に到着したと同時くらいに
亡くなり酸素マスクが取れました。

そして17時5分死亡確認。
死因は老衰。


私はずっと顔を見ていたけど
いつ呼吸が止まったのか
わからなかったです。


妹からの電話もあって
やっと安心したのか
眠ったままの感じで
息を引き取りました。


エンゼルケアも終わり病室に
戻ると用意したお気に入りの
ピンクの上着、黒のズボン
ピンクの靴下を履かせてもらって
大好きなクマのぬいぐるみも
抱っこさせてもらっていました。

ベットには私たちの写真と
折り鶴が置かれていました。



写真もクマも、、、
心遣いにありがとうございます、と
お礼を言って自宅に連れてかえることが
できました。




失語症がかわいそうだった。
母が入院してから看とり、老衰の
本をたくさんの読みました。
そして自分なりに母の死を
受け入れようとしました。



86歳お疲れ様でした。
介護させてくれてありがとう。

このあと火葬場があいてなくて
お通夜まで4日もありました。


日にちがあくので母にはエンバーミングを
していただくことになったのです。