おはようございます。小池克幸です。

皆さん、稲むらの火をご存じでしょうか?
道徳の授業や防災の日でもおなじみですね!という方もいてはると思います。
濱口梧陵という人が実際に行った逸話になります。
 

稲村の火の舞台は和歌山県有田郡湯浅町
江戸時代、強い揺れと大津波に襲われたときのエピソードです。
 

幕末に、安政南海地震が発生します。
濱口梧陵は「井戸の水がひいている」「海水が引いて海が浅くなる」ことで大津波が来ることを本で知っていたため、「これはただごとでない」と津波対策のため、村人たちを廣八幡神社に避難させます。

その後、湯浅を大津波が襲い、海と陸の境目が分からなくなるくらい浸水しました。

逃げ遅れた人々もいました。暗くて自分の居場所がわからないまま、不安と恐怖に震えた村人に一筋の光が!稲村の火が何箇所も放たれ、道のようになっていました。

火の通りに進んだ先は皆が避難している廣八幡神社でした。誰が稲村の火を放ったのか。濱口梧陵と数人の若い有志の村人でした。逃げ遅れた人々を救いたい、という思いからこのような判断に至ったようです。



「稲村の火」の昔の道徳教科書、日本昔ばなしでは「非常時であることを知らせるために大事な稲村に火をつけた」とされてますが、
実際は「逃げ遅れて夜で暗い中、逃げ道が分からない村人を救うために稲村に火をつけた」のです。

防災の分野でもよく研究テーマとして扱われていますが、
災害の多い日本で特に重要な教訓があります。
時間をかけて、みんなで作り上げた堤防がキーということと、2次災害を防ぐためにするべき心構え等等。考えてみればきりがないくらいたくさんあります!