よく「社会は理不尽だ」とか「世の中は理不尽が当たり前」などと言いますが、みなさんは理不尽の意味わかっていますか?

 

理不尽の意味はなんとなくわかるとか定義と言われると困るといった人が多いのではないでしょうか。

 

そこで、今回は理不尽の意味を深く掘り下げたいと思います。

 

理不尽とは広辞苑によれば「道理を尽くさないこと」「道理に合わないこと」とあります。そして、ここで「道理」とは何かが気になります。これも広辞苑で調べてみます。すると、「物事のそうあるべきすじみち。ことわり。」「人の行うべき正しい道」とあります。理不尽は人に対して使われるので、理不尽の意味の「道理」とは「人の行うべき正しい道」のことを指します。

 

つまり、理不尽とは「人として正しくない行い」のことを意味するようです。

 

しかし、理不尽=「人として正しくない行い」とすると理不尽=「不正」となり理不尽ではなく「不正」と言った方がいいような気もします。しかし、学校でも会社でも「社会は理不尽が当たり前だ」と教えられてきました。実はこの理不尽は不正の婉曲語なのです。また不正というと何が正しいのかが気になります。こういう哲学的な話に持っていきたくないために理不尽という言葉が使われるのでしょう。

 

ところで、「人として正しい行い」は「道」と呼ばれます。また「人道的」というのも「人としての正しい道」を意味します。つまり理不尽は非人道的と解釈してもよいでしょう。

 

ここで、理不尽を非人道的に言い換えると社会が見えてきます。「社会は非人道的が当たり前だ」と学校や会社が教えているのです。こんなのでいいのでしょうか?

 

理不尽な目にあった場面を思い出してほしいのですが、理不尽な目にあったときに何が無視されているのでしょうか?それは個人の「自然の思い」です。「自然の思い」には必ずそうなった理由がありますので、いわば論理があるのです。それを無視して、強制するから、理不尽と感じるわけです。ある人は「自然の思い」にはわがままや甘えなどもあるじゃないかと言うかもしれませんが、それらは特別な事情がない限り、説得して変えることができます。

 

そもそも人道的というのはこの「自然の思い」、例えば、「生きたい」とか「何か食べたい」というのを叶えてあげることを人道的といいます。これが「人間愛」であり、「人としての正しい道」なのです。

 

下っぱの「自然の思い」を大事にしない使用者や学校の先生は理不尽が当たり前だということを言い訳にして、非人道的なことをしているのです。

 

理不尽に屈するのは避けてください。自分も理不尽なことをするようになります。

 

「自然の思い」を大切にすることこそみながしなければならないことであり(特に上に立つ人は余計に)、そうしないと世の中はいつになっても非人道的になります。

 

こんな世の中を誇れますか?

 

今、ロシアとウクライナが戦争をしていて、ロシアを悪者にしていますが、会社の社長や学校の先生は非人道的なことをしといて、ロシアを悪者にできるんですか?同じことをしていませんか。

 

どうか、他人の「自然」を大切にしてください。それが隣人愛ですから。