会社で「この人のこの行為は許されるのに、なんで私が同じことしたら許されないの?」とか「私はあの人より仕事を多くしているのに、なんでボーナスの金額があの人より低いの?」など、会社では不平等な目に遭うことはしばしばあります。多くの人は人間なんだから好き嫌いで決められていると思うでしょう。確かにその通りなのですが、なんか腹が立ちませんか?こういうことやられると自分も上の立場になったら同じことしてやろうと思うんですよね。まさに負の連鎖です。
 
哲学者である私はこの「好き嫌いで決められている」というのではなんか納得できません。そこで、哲学者らしく好き嫌いの本性を突き止めようと思いました。
 
そこで、好き嫌いの元になっているものは何かを考える必要があります。まず、人間には自我があります。この自我は人それぞれで多種多様です。基本的に人間はこの自我を中心に人間共通の理性を持って物事を判断します。まず、自我が先です。次に理性で社会的にどうかやルールは守られているかなどを判断します。ところが、認識となると、自我は認識にまで影響を及ぼし、その人の認識を歪めます。ある人はこの人を見ただけで惚れてしまう、そして、それは自我が多種多様であるので、人それぞれです。よって、好き嫌いはこの認識の歪みから生まれているのです。
 
神様は客観的な認識を持ち、絶対的な判断あるいは評価ができます。なぜなら、神様は無我だからです。ところが、人間は自我があり、認識も歪んでいるので、主観的で、まず先に相対的な評価をすることになります。その後で社会的にどうかという理性的な判断があります。
 
男女の結婚なんかもお互いの自我に対する相対的評価が良くて結婚するのです。
 
ここで会社の話に戻りますが、神様ではない人間にどうして神様と同じ認識ができないのと言っても仕方ないのです。のれんに腕押しです。これは男が女の認識がわからないのと同じことなのです。人間は一度も神様の認識をしたことがないのだから神様の認識がわからない。ただ、中には神様を信じていて神様ならどう見るかを考える人もいなくはない。しかし、それがわかったとしてもそれを採用するには、自分を否定しなければならない。これができる人が世の中に何人いるでしょうか?これができる人がいたらかなりの人格者です。しかし、これほどの人はもはや自我を捨て神になった方が楽です。
 
ここで、人間は自我での認識の後、理性で社会的にどうか判断すると言いましたが、この理性を神様の掟と照らし合わせてどうかという判断にすると、神様に近づけます。
 
ちなみに、LGBTは認識の歪みからくるのではなく、遺伝です。なので、神様になっても治りません。
 
遺伝も自我に影響を及ぼします。よって認識にも影響を及ぼします。
 
人間が神様になったときこの遺伝もくっついてきます。なぜなら自然と同化した状態が神様だからです。ただし、神様でない人間と違って魂と肉体は分離しています。だから肉体からの衝動も神様でない人間と違って、ある程度コントロールできます。ある程度と言ったのは人間が神様になっても成長していくからです。つまり、神様になったからと言ってすぐ完璧になれるわけではないということです。
 
このように人は生まれ持った自我(遺伝も含む)のゆえに、悔い改めなければ、歪んだ認識を持っているのです。そしてそれは悔い改めなければ、改善されることもないのです。