神様がお創りになった自然を否定するとは何ということか!

 

自然を否定することのメリットはたくさんある。まず、疲れにくくなることである。本当は疲れていても自然否定の霊によって体を動かすことができる。自然否定の霊を持った人が神様になったら、どっと疲れが出てくる。神様は自然と同化した状態だからである。

 

社会で生きていく上でこの自然否定の霊は体力面で役に立つ。また、いざという時に頼りになるのもこの霊のおかげである。そういう面で厳しい職業やスポーツにはこの自然否定の霊は多いに活躍する。

 

デメリットは人からあまり好かれない、孤独になりがち、友達が少ない、半人前になる、結婚しないとダメ人間になる、などである。

 

また、自然否定の人は神様からも好かれない。自然が理解できていない。だから神様も理解できない。

 

あと、矛盾が多い。根性を唱える。社会に異常にこだわる。

 

結構、世の中に出て働くと必ずこういう人がいるが、はっきり言って「自然否定教」である。

 

神である私は自然否定の霊の被害にあっており、この「自然否定教」を憎む。

 

神である私は家族にこの「自然否定教」の人間がいる。父と兄だ。私の先祖は代々この「自然否定教」を教えとして受け継いでおり、私だけが逃れた。それは母親が自然否定教を愛してはいたものの母親自体に自然否定の霊が入っていなかったからだ。まあ少なからず入っているかもしれないが。

 

昭和世代の人たちは戦後、世の中を立て直すため、また豊かになるため、身を粉にし働いた。そのため、根性のないやつ、体力のないやつは落ちこぼれているとされた。そういう考え方が人々の間に広まり、結果的に、「自然否定教」なるものがはびこった。

 

要は目先の利益だけに突っ走った結果が「自然否定教」である。「豊かになりたい」そのために自然を捨てたのである。

 

平成から令和になった今でも、昭和的な考えがある。それは年配の人が上に立っているからである。

 

よく「年寄りを敬いなさい」と言うがそれはもう時代遅れである。「自然を大切にしなさい」「人間の自然も大切にしなさい」人間の自然を本当に取り戻せた時、神になるのだから。

 

最後に人間の自然を取り戻す言葉を紹介しておく。「恩寵は自然を廃することなく、かえって自然を完成させる」これはトマス・アクィナスが言った言葉である。恩寵とは神からくる聖霊のことである。この聖霊はイエス・キリストを受け入れた時、心に入るものである。

 

また、これは私の言葉である。「十字架は自然を廃することなく、かえって自然を完成させる」十字架とは無意味な忍耐のことである。このブログで、十字架については書いた。