最後の日まで
終始校長の冷たい対応に
心苦しさを感じながら業務終了時間まで堪えた。
最後に引継ぎと今までのお礼がてら、全職員にメールを送信!!!
今思えば、
ここはO県一の学校だと思います。
負けないようにがんばります。
と書いた自分が恥ずかしい。
さて、普通なら門出を祝って送別会やら花束の贈呈などがあるのだが、
がんばっての『が』の字すらかけてもらえない。
事務長が辞めたときも花道を作り、
(参考までに以前のブログ→http://blogs.yahoo.co.jp/iha_alcc/334442.html)
人間的に問題がある常勤講師が別の学校(他県)に移ったときも盛大に送別会を開いたのに・・・
(そういえば、この職員が辞めたあと校長は「何か問題起こす前に辞めてくれてよかった」なんていっていたな、自分で採用しておきながら・・・結構腹黒い人だと思う。)
10年近く勤めても、たたき出されるような仕打ち。非常に悲しい。
こんな会社だから、退職金もうやむやにされ、一円も出ず・・・
就業規則すら見せてくれない会社なので最初からあきらめていたが、
8年前に休職(実際は退職)し、中国にインターンに行った時は
経営が傾きかけている中、餞別として10万もくれたので、今度はまあまあ安定しているときの退職なので、多少は期待していたので、やはり無いとなると虚しくなる。
そんな中、
私の後任の主任になる先生が、みんなに見えないところで、
そっと私に大きな包み紙を渡してくれた。
そして「がんばってね」と声をかけてくれた。その一言がうれしかった。
さらにうれしいことに、
楽観的な性格の生活指導の職員が、送別会を開いてくれた。
送別会とは名ばかりで、常勤職員はその人だけで、
のこりは何も知らない学生が数名。
ただカラオケを歌いたかっただけだったかもしれないが、
ほどよくビールも入り、酔いが回った口からは
「いーぽー老師がいなくなるとさびしいよ~これからは友達として付き合おう」といってくれたりと、
心配りにじーんときた。
あとから、非常勤の先生方が数名加わり、夜遅くまでまで盛り上がった。
職場では、船出を祝うことができないと察していたのか何も言わなかった先生方がここでは、
はなむけの言葉をかけてくださり、
改めてよい人たちに囲まれて仕事していたな~と感じた。
明け方自宅に戻り、もらった紙袋を開けると
高そうなビジネス用のカバンが入っていた。
うれしい気持ちで眠りについた矢先、
27日午前5時31分
O県は101年ぶりの震度5以上の地震にみまわれた。
この地震がまるでこれから始まる波乱な日々を予測していたように思われる。