これは私が小さい頃に体験した実話です。
友人にあなたの話は本に出来るぐらい濃いし考えさせられるからブログ初めてみたらと言われ初めて見ました。
こういうのは初めてで不慣れなので文字脱字や変な文書でもお許しください。
ちなみに父は日本人。父が仕事でマレーシアに出張の時に母に出会い、結婚。
母はマレーシア人
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私が小学2年生の時に両親は離婚した。
理由は私の母が躁うつ病と統合失調症が合併し、刃物を振り回したり、暴力、暴言をし子供達が危ないという判断で父親が親権をとり離婚する形になった。
当時の私から見る母は昼間は天使で夕方から悪魔そのもの。
昼間はこっちにおいでと優しく抱きしめ頭を撫でてくれる優しい天使。
でも夕方になるとどうして何も出来ないんだ!?と定規で叩かれたり姉と喧嘩した時にはお仕置と言ってわさび1本を口に入れられ鼻を抑えられたりと色々あった、、結構今だと虐待と言われる行為ばかり。
幼稚園児までは父が帰ってくる時にはそんな行為は1度もすることが無かったし、口止めもされていた。
小学生になった時は姉も私も体にはアザが目立つようになってきた。母も父に隠すのが大変になっているようだったな。
母は私達が学校に行ってる間に、東京の銀座まで新幹線で行き、何百万もするブランドバックを父のカードで買いタンスに隠してたりしていた。
それが父に見つかった時に母は、日本に居るのが辛い。買い物がストレス発散になるからと逆ギレし大喧嘩。
お金を好き勝手使い、金使いの荒さに父は疲れている様子もあった。
毎回あったらしく、さすがの父もこりごりだとカードを取り上げた。父は母に経済力が無いなど言われて結構ショックをうけていた。
そんな2人が上手くいくわけなく、そこら辺から毎日夜は喧嘩していた。
姉と私は震える体を止めるように二人で一緒にくっついて寝ていた。姉は私に大丈夫だよって言ってくれて勇敢な勇者に見えた。
姉は健気でこれはただの喧嘩だからまたすぐ良くなるよと私を励ましてくれたり、4人を表した四葉のクローバーを学校の自由に表現しようみたいな授業の時に描いていた。クローバーの葉の部分1枚1枚にはママはお金持ちになりますように、パパは健康で入れますように、私(姉)はもっと可愛くなれますように、妹(私)は願いが叶いますようにって書いてあって小さく皆で幸せになれますようにってあった。
私は小一だったけど、なんだか複雑でせつない気持ちになったのを覚えてる。
姉はそれを母に見せると喧嘩ばかりしちゃってごめんねと謝って私達を抱きしめてくれた。
そういう所があるから私は何をされてもママが大好きだった。
でも夜になると母は私たちを怒るし父とも喧嘩をする。毎日怒鳴り声、物を投げる音。
今日も始まった最悪だと姉に話しかけたら姉も同意していたが、今日仲直りしてって言ってくるなんて馬鹿なこと言ってきた。
どうせ喧嘩してる時に声掛けたら私達が怒られるのが目に見えていたから、やめときなよって言ったけど姉は止まらず2人の元に行った。
私は心配だったから一緒についていった。
姉は震える声で2人とも、仲直りしてよって言った。
母と父は今まで見た事ない顔をして私達を睨んできていつもと違う怖さの雰囲気を覚えてる。
2人から放たれた言葉は想像通りだった
あっちに行け。なんで起きてるんだ、うるさい。大人にしか分からないのにそんなこと言ってくるな。など言われた。
姉は涙目になりながらごめんなさいと言って寝室に戻った。
次の日には父と母は何事も無かったかの様に私と姉を抱きしめごめんね、大好きだよと言ってきた。
小学2年になってもこの状況は変わらなかった。
なんなら悪化していた。
母は父の目めがけて、イスをぶつけて失明寸前まで追い詰め救急車に運ばれたり、父を殴ったり夜が怖かった。
母はどんどんおかしくなっていった。以前までは父の前では暴力、暴言はしてこなかったが遂に父の前でも暴力をふるった。
父はその光景にショックを受けている様子だった
母はアハハと大笑いして、みんな〇んじゃえばいいってハサミを取り出して振り回していた。
もう〇んじゃうんだ私たちって思ったら父が母を止めてくれた。
母はそのまま部屋に連れてかれたと思って姉と安心してたら父に皆で外に出ようと言われた。
しばらくすると救急車がきた。
混乱してると父が母に救急車呼べって言われたと言い、相当参ってるようだった。
母はずっとギャハハハって笑って完全に狂ってた。
救急車に乗せられると暴れて皆に暴言をはいていた。
救急車の人達は母を取り押さえベットのような所に縛り付けて拘束していたが、母に噛みつかれたりしていて可哀想だった。
母はそれでも笑っていた。でも急に泣き出して娘達とサヨナラは嫌って叫んでいた。
そこからは正直記憶がなくて、覚えてるのは母は精神病院で入院していた。
お見舞いに行ったら母はまた優しいママに戻っていて寂しい思いさせたねって頭を撫でてくれた。
父はあの日からドッと疲れているように見えた。
母が入院中なのに母が来るかもしれないって言ってチェーンロックまで付けて玄関から1番遠いリビングで私、姉、父の3人で寝ようと提案し、父は凶器を全て隠していた。
寝る時も父は中々寝れない様子でずっと母を警戒してる様だった。
私はママは今はいないから大丈夫だよって言ったらそうだね、そうだよね、って深刻な顔で言ってから私とお姉ちゃんを寝かしつけてくれた。
母は退院した。しばらくは良かった。
2人とも優しくて喧嘩なんて全くなかった。これが幸せか。私は幸せだなと思っていた。
でもそんなのやっぱり長くは続かなかった。
また母と父は喧嘩していた。
母は皆こ〇したいと言い始めた。父は危ないと感じ祖母に電話して私達を迎えに来させるよう言った。その間に母は理由もなく姉の頬を思いっきりビンタした。父は反動で母の胸ぐらを掴んでビンタしていた。
母はもう今までに見たことないぐらいに奇声を発し、そっちの味方をするのか?お前ら全員敵だと言い父に暴力をふるっていたが父は全て体で受け止めていた。
父は母に初めて手を挙げたことを後悔しその償いのようにも見えた。
祖母が来て私も祖母のところに行こうとした時に
母が私と姉を肉にしてやいて食ってやる。あんた達なんかいなければって言いかけたときに父が大声で早く行けって叫んできた。
すぐに母は行かないでって言ってきた。
私は戸惑って母の方を向いた悲しそうな顔をしていた。私の感情はぐちゃぐちゃだ。もうよく分からない。いつも傷つく言葉は言われてきたから慣れてる。慣れているはずだったのにおばあちゃんの車の中で泣いた。
その日は、母と父。そして姉と私で仲良く暮らすのは無理だと悟った。
家に帰ったら父と母はまた仲良くスッキリした顔だった。今まで以上に2人とも優しかった
私はどん底から明るくなった。
良かった!また皆で仲良く暮らせる。これでお母さんもう治ったんだ。良かった。
って思っているのもつかの間でもまたすぐどん底に落ちた。
学校から家に帰ったら机の上に離婚届が置いてあった。当時の私はそれはなにかは分からなかった。
しばらくしたら姉も帰ってきて両親も帰ってきた。
2人は私と姉を呼び止め大事な話があると言い、
リビングに集まった。
しばらく無言の後父が口を開いた
ママとパパ離婚するんだ
頭が真っ白になった。え?最近は仲良かったじゃん。スッキリした顔はそういう事だったのか。
父と母がベラベラ話してるけど何も覚えてない。
どっちに着いてきたいか聞いてきた。父について行けばこのまま日本、母について行けばマレーシアというクレイジーな選択だった。
でも私は親よりも姉が好きだから姉の選択するものについていった。
姉は友達と離れたくないと日本に残ることを決意し、私も姉と一緒にいたいと言った。
私が言った途端、母は泣いていた。でもすぐに笑った。
心がすごい痛い。ママにごめんねと謝った。
母と離れるのは辛かったけど、多分一緒にいても辛い運命だと思っていたから私の選択には自信を持って良かったと今でも思う。
これで離婚が決まり、母は一人でマレーシアに帰った。父は最後まできっと母を愛していたんだろう。母に全財産の7割をあげていた。1000万近くになる。
父は離婚してから結構明るくて優しかった。
気分転換に釣りでも行こうと連れてってくれた。でも遠くて、お腹がすいたから行く道の途中で個人店のラーメン屋にお昼ご飯食べに行った。
父がコップに水をいれて持ってきてくれた。
コップは4つあった。私と姉は気まづそうにパパ、1個多いって言ったら、父はその場で泣き崩れた。
嗚咽をしながら泣いていた。
父は今まで泣くのを我慢していたのだろう。こんな泣く姿を見たことは無かったから、とても辛かった。パパは謝ってきた。それはここで泣いてしまった事なのか、離婚を選んでしまったからなのか分からなかったが、
今度からは私と姉交代でお水を取りいくようにって二人の間で暗黙の了解になった。