久しぶりに引き込まれ考えさせられ

印象的だった「ともしび」という映画。

 

(ネタバレ沢山あります。)

 

 

夫が児童への性的な虐待で収監されてしまった

孤独な老女の日常をドキュメンタリー映画のように

撮った映画だった。

 

夫を監獄に送る前夜のシーンから始まり、

ほとんど台詞はないまま

淡々とした日常生活の様子がロングショットで続いていく。

 

夫の収監後もアンナ(ランプリング)は

家政婦の仕事をしながら

演劇レッスンを受けたりプールに通っている。

 

 

そしてどうもその演劇レッスンで手がけている脚本は

イプセンの「人形の家」のようだ(多分)

 

アンナの生活の中での、

この演劇レッスン中で出てくる台詞や

往復の電車内の乗客のやり取りが

ランプリングの心の内側を語っているような作品となっている。

 

演劇レッスンの台詞の練習の中での

「あなたがそういう考え方をしてそういう行動をするのを

知ってしまったら、もう私はあなたとはやって行けません。」

 

「私は出て行きます。

あなたは私に何の義務を負うこともないから私を自由にしてほしい。指輪を返すから私の指輪も返して下さい。」

という台詞や

「私はまた人形に戻ってしまった。」という台詞

 

そして電車の中の乗客が恋人かパートナーに向かって

「そういう考えだったら最初から言ってくれ!

そしたらあんたとは最初から付き合わなかった!」

と言うシーンがあり。

アンナの心の中が投影された場面になっている。

 

アンナは孫の誕生日会にケーキを作って訪ねて行くが、

息子家族には会うことも拒絶されてしまう。

 

その後のトイレの中での嗚咽シーンでは

アンナの絶望が伝わり胸が苦しくなってくる。

ランプリングの存在感が凄い。さすがです。

 

しかし何故息子に母のアンナまで拒絶されてしまうのか?

 

映画の中でハッキリした理由は説明されないが

息子は父親の邪悪な性行を知っていたのか、

息子も犠牲者の一人なのか?

もしかして父親の罪を告発したのが息子なのか?

 

そして父親の真実の姿を見ないようにしてきた母をも

許せないのか?

その辺は明らかな説明はない。

 

アンナは夫の罪に対して最初半信半疑の様子だったが

(勿論夫は無罪を主張。)

偶然夫の有罪の証拠を見つけてしまう。

 

苦しみはもっと深まっていく。

 

アンナは勤め先で鯨の死体が打ち上げれたというニュースを知る。

 

最初は沖にその死体を運ぶプランだったが

腐敗してきてるので途中でバラバラになってしまうので

それも不可能というニュース。

 

その鯨を見に行くアンナ。

 

浜に打ち上げられ

大きな胴体を無残に晒している鯨。

内側から腐っていく鯨。

 

それは身動きも出来ずに朽ちていく

アンナ自身を象徴しているように見える。

 

夫の有罪を知った後、

演劇レッスンではうまく演じる事も出来なくなり

家でもブラインドを常に閉めているような生活となる。

 

最後のシーンは地下鉄の駅の様子なのだが

思わず緊張して見入ってしまうシーンとなっている。

 

 

 

 

 

ランプリングは老いた裸体をもさらして

生きていく事の厳しさや

孤独に老いていく事の辛さを表現している。

 

ランプリング、やっぱり中身が深い!

 

忘れない内にブログに感想を書き残しておきたい

と感じた印象深い映画だった。