また、この新年もあっと言う間に明けてしまった。仕事先の上海で元旦を迎え、いつもと何変わらずの単なる『日』であった。中国では旧正月の方が重要であるので、とり入って特別でもなんでもない。なので、新しいカレンダーになった、という雰囲気すら感じられず、淡々と仕事をしていた。


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宿泊先のホテルの部屋から眺む上海の黄河


さて、ずっと以前から、クリアリングのセッションを受けさせてもらっているのだが、ワタシ自身が受ける心構えというか態勢か整っていない。申し訳ない。瞑想するとか鎮静した『とき』を作ろうとしない。あえてジブンを向き合わせようとしないかのように、日々の忙しなさに任せてしまっている。

そのジブンの状態はもう痛いほどわかっているのにあえて見ようとしない、なんということか…。


それゆえ、すべてが中途半端。


ひとつひとつ丁寧にしたいのに、なぁ…。


そして、本当は、クリアリングとか受けなくともわかっているんだ。

 
気付いていることをもうずっと気付いている、ということ。


これを気付いてしまうと、あるいは自覚してしまうと、そして、それを文字におこしてしまうと、それが現実のものになってしまいそうでこわいのだ。


だから、紛らわそう、としている。